はじめに

小生が、國學院大學弓道部四年のとき、弓道場にやって来た新入生。

「やめとけ、やめとけ、騙されるなよ」と、忠告したにも拘らず、入部してしまった一見可愛げな女学生。それがまさか小生の妻になろうとは、誰もが思いもよらなかったことである。

その妻も今では七十歳を過ぎ、体重も三割、四割増し?の重さだが、それ以上に存在価値の重さは何十倍となり、我が家、我が神社ではなくてはならぬ人になっている。

その彼女が、自分史を発刊するのだと血迷って、数か月。何とか形になったようだが、私から見るともっともっと面白いことやセンセーショナルなことがあったように思えるが、そこはかなり抑えて起稿した様子。

最近の彼女の話は主語述語が明確でなく、人に迷いを起こさせることがしばしばである。そんな人騒がせな女が書いた自分史なので、足し算、引き算、掛け算、割り算をして笑読して頂けたら有難いと、一筆申し上げ候。

天津神明宮  岡野哲郎

新潟での日々

教員一家に生まれる

私が生まれたのは新潟県の南部にある、名立町(なだちまち)という日本海に面した小さな町です(現在は上越市)。母の実家は海に近い町の中心にありましたが、父の家は海から離れた山深いところにありました。父と母は教員をしていて、父の父(祖父)も教員でした。

あるとき祖父が知り合いの先生に、

「うちのあんちゃん(父のこと)に嫁さんいないかね~」

と相談したところ、その方が母の元勤め先の校長先生だったことから、母を紹介したのだそうです。父と母は八歳年が離れていて、結婚式までほとんど顔を合わせなかったといいます。昔のお見合い結婚では、よくあることだったのかも知れません。