【前回の記事を読む】「こんな母とはもう住めない、出て行く!」 専門学校を目指す私に、大学進学を強要する母。我慢してきたけど今度ばかりは…!
東京での日々
大学を受験したものの……
姉の赴任校で探してくれたアパートは、小田急線の相模大野から片瀬江ノ島方面に三つ、四つ行った駅で降り、歩いて二十分ほどのところにありました。アパートは農家の敷地内に新築されたばかりで、畑と竹林に囲まれた静かな場所でした。
荷物の整理も済んだ頃、母から一通の手紙が届きました。父は筆まめな人で何かにつけて手紙をくれましたが、母から手紙をもらうのは初めてでした。
「何を書いてきたんだろう。また文句を言ってきたのかな?」と思いながら読んでみると、教員になった姉へのアドバイスや、私たち二人への生活の注意点など細々と書かれていて、最後に、
「お前たちがいなくなって毎日泣いている」と綴られていました。読み終えて姉は涙ぐんでいましたが、まだまだ未熟だった私は、怒ってばかりいた母の姿しか思い出せず、母の気持ちを汲み取ることはできませんでした。
まもなく、姉は勤務先の小学校へ、私は東京の予備校に通う生活が始まりました。
予備校は新宿から山手線に乗り換えて高田馬場で降り、バスで数分行ったところにありました。すぐ横には有名私立大学があり、ちょっと歩けばキャンパスに入れるほどの近さでした。
その頃は学生運動が盛んで、東京大学では安田講堂が学生に占拠され入学試験が中止になったり、他の大学でも過激派同士の対立があったり、全国の大学が荒れに荒れていて、隣の大学も学生会館が学生に占拠されたという話が耳に入ってきました。
ある日、予備校の仲間に誘われ、隣の大学を見に行ったことがあります。学生会館の前にはバリケードが築かれ見張り役が立っていましたが許可を得て二階に上がって行くと、ヘルメットをかぶった学生が集まっていました。
過激派というからどんな人たちかと思って、恐る恐る話しかけてみると、ごく普通の人たちで驚きました。しばらく話をしていると、突然、辺りが騒がしくなり、
「〇〇派が攻めてきたらしい! 危ないから帰った方がいいよ!」と促され、急いで予備校に戻りました。