新潟での日々
直江津での暮らし
ある日、夕食の片づけを終え、姉はいつもの通り二階に上がっていましたが、私は茶の間で宿題をしていました。炬燵に入って鉛筆を削っていると、母が突然、「炬燵の上で、鉛筆削るの止めない!(やめなさい)」と言い出しました。
私は、「いつもはそんなこと言わないのに、今日はどうして駄目なんだろう?」と思いながら削り続けていると、「言うことが聞けないのか!」と母が怒り出し、私に向かって突進してきたのです。
ビックリしていると、父が母を遮りながら、「栄子、早く、二階に行きない!(行きなさい)」と言ったので、あわてて二階に上がりました。
姉に、「お母さんが突然殴りかかってきてね……」と涙ながらに訴えると、「下にいるからだよ。二階にいればいいんだよ」と姉は静かに言いました。和島村で怒られてばかりいた姉は、母を避けて生きる術を心得ていたのかも知れません。
そんなわけで家に帰るより学校にいた方が楽しくて、放課後になるとついつい友達とおしゃべりをしていて帰りが遅くなり、「先に帰った者が家の掃除をする」という母の言いつけを、姉がすることが多くなっていきました。
冬になると除雪車が道路の雪を両脇に掻き上げて、家の前に大きな雪の壁ができてしまい、家に入るには雪の壁をよじ登らなくてはいけません。
それも、「先に帰った者がスコップで退けておくこと!」という母の言いつけを結局姉がすることになり、「えこちゃん、ずるい!」と姉によく言われたものです。
親友との出会いある日のこと、ケンカがもとで知り合った二組の彼女と話していて、「家はどこなの?」と聞かれたので、「東雲(しののめ)町」と答えると、「エエッ!? 私ももうじき東雲町に引っ越すんだよ!」と言われ、私もビックリ!
「そんな偶然あるのかな?」と思っていると、本当に彼女は我が家のすぐ近くに引っ越してきました。
彼女の家は農家で、少し離れた田園地帯に住んでいたのですが、お父さんが東雲町に土地を求めて家を建てたのです。休みになると彼女は毎日のようにお父さんの農作業を手伝っていました。
そんな彼女を母は大層気に入り、「お前たちと違って、働き者で感心な子だ!」と褒めちぎっていました。比較されるのは嫌でしたが、母が彼女を気に入ってくれたのは嬉しいことでした。
彼女の家に遊びに行くと、真っ黒に日焼けしたお父さんが顔をほころばせ、「おお! 斎京さん、よく来たね! 上がんない!(上がりなさい)」と温かく迎えてくれました。
ちょっと頑固そうだけど頼りになるお父さんと、おっとりして優しそうなお母さん。お姉さんと妹さん、弟さんもいて、みんな明るく親切な人たちでした。
彼女がお母さんと楽しそうに話をしていると、「これが普通の母娘の会話なんだろうな……」と羨ましく思ったものです。