【前回の記事を読む】家の2階にいれば母に殴られる事はない? 母は口を開けば文句ばかり... 普通の会話などあるわけもなく喧嘩ばかり。
新潟での日々
初夏の早
仕方なく、予定通り真夜中に宿を出発し、途中休憩を取りながら山頂へ。みんなでご来光を拝みましたが、そのときの寒かったこと! 体が凍りつくようでした。そして、いよいよ下山。先生が言われた通り、登るより下りる方が大変でした。腿の筋肉がブルブル震えて思うように足が進まず、おまけに山頂で冷えたせいかトイレが近くなり、「先生、トイレへ行きたいです」
と私が言うと、そのたびに先生が、
「おーい、みんな止まれ~。斎京がトイレタイムだぞ~!」
と大声を出し列を止めてくれました。みんなに迷惑をかけながらも何とか無事下山することができ、思い出深い妙高登山となりました。
高校進学私にとって直江津中学は多くの出会いがあり、充実した中学校時代でした。もっともっと多くの仲間と知り合えたらよかったのですが、あっという間に三年間が過ぎ、高校受験の季節がやってきました。高田にも高校はありましたが、私は迷わず、直江津高校に進学すると決めていました。
姉も通っていたし、高田まで電車で通うのも大変だし、せっかく慣れた直江津から離れるのは気が進まなかったのです。母は自分の母校である高田の女子高を勧めましたが、私にその気がないと知ると、それ以上何も言いませんでした。
直江津高校は直江津中学校のすぐ隣にあり、普通科、商業科、被服科の三科ある総合高校でした。通学路も中学とほとんど変わらず、中学校の延長のような気分で入学式に臨み、校長先生や来賓の挨拶が終わってやれやれと思っていると、突然学年主任の先生が壇上に上がり、厳しい口調で言いました。
「のんびりしていると、あっという間に三年経ってしまう! 自分の将来をしっかり見据え、明日からではなく、今日から緊張を持って励むように!」
それを聞いた私は、「何もこんなめでたい日に、わざわざそんなこと言わなくても……」と思いながらも、「一体私は将来何をしたいのだろう?」と考えると急に心が重くなりました。
中学から剣道を始めていた親友は、高校で剣道部へ入部して将来婦人警察官になりたいと言っていました。私にも「一緒に(剣道を)やろうよ!」と言って何回も誘ってくれましたが、「頭のてっぺんを竹刀で叩かれたら、ますます背が縮む!」と思い、頑なに断りました。
「一体私は何をすればいいんだろう……」と悩んでいると、いつもは無口な姉が、「放送部に入ったら?」と言いました。
「放送部?」
「えこちゃんに向いてると思うよ」