当山、仙台虚空蔵尊は仙台藩政以来卦体神信仰(けたいがみしんこう)(十二支の守り本尊を信仰する習慣)の中心地としてこの地の円満成就の守り本尊として崇敬されてきた歴史がございます。現在はとりわけ病気平癒の祈願に来られる方が多いのです。五年、十年と続けてお越しになられる方。毎月お越しになられる方、年に三度の方、年に一度の方もおられます。

私たちには天壽がございますので、その中には残念ながら亡くなられる方もおられます。ご家族にとって受け入れがたい現実であり、そのご報告をいただくことは当然辛い訳でございます。

ご家族の願い虚しく御祈祷や治療の甲斐なく仏の世界へ旅立って行かれた方を見送って思うことは、信心安心を持って御祈祷の祈願や仏さまにおすがりされた意義は何だろうかということでございます。

では信心安心を持って何年も御参詣を続けたことは意味がなかったことなのでしょうか。医学が乏しい古代なら祈願に頼るということは理解できるでしょうが、医学的に進歩している現代に御祈祷を受けることで御加護をいただき安心を得るということに懐疑的な方もおられます。

曹洞宗の経典である修証義(しゅしょうぎ)の一節に、

「光陰は矢よりも速(すみ)やかなり身命は露よりも脆(もろ)しいずれの善巧方便(ぜんぎょうほうべん)ありてか過ぎにし一日を復(ふたた)び還し得たる」というものがあります。

時が過ぎ去っていくのはあっという間であり私たちの命は露のように儚いものである。過ぎ去った一日を再び取り戻せるような、いかなる勝(すぐ)れた手段もありはしない、だからこそ一日一日を大切に丁寧に意義あるものにして生きていくというお示しでございます。

平成から令和にかけてここ三十年でもいろいろなことがございました。阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件等の一連のオウム事件、東日本大震災、記憶に新しいコロナ禍等々どの出来事も昨日のことのように覚えております。私たちの人生は本当にあっという間に過ぎ去って行き、気付いた時には人生最後の日を迎えるかもしれません。

しかし心に信心安心を持って生きていくことが必ず私たちにとって道標(みちしるべ)となるのでございます。

   

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