注1)木村素衞「美のかたち」1947(『美のプラクシス』燈影舎、2000)に、「雄弁は一つの芸術であっても、日常の単なる会話を人は芸術とは言わない。詩は然るに芸術である。(p.6.)」「言葉の芸術は時の形から離れ得ない。疑いもなく、詩においてこのことは最も著しく現れている。しかし声楽においては一層このことは高まって来る。詩は恐らく単純に読まれるべきものではなく、おのずから口ずさまれ行くべきものであり、ついに吟詠されるべきものであろう。言葉にいでた内容が、その主張せんとする意味を、言葉における音と時の形とを結びつけることに依って主張せんとするとき、そこに詩から声楽への、一般的に言えば言葉の芸術から音の芸術への移り行きがあると言うことができよう。(p.8.)」とある。

注2)筑波大学附属小学校音楽科教育研究部『音楽の力×コミュニケーションでつくる音楽の授業』東洋館出版社、2016、p.9.教員に対するアンケート結果から確認された現状。

注3)それまでの過去約70年におよぶ小学校唱歌科は、「唱歌」教育が中心であった。それに加えて盛り込まれたのが「鑑賞」「器楽」であったが、「唱歌」の次に記された「鑑賞」は、「為すことを得」と記された「器楽」と異なり、「せしむべし」と記されており(藝能科音樂に関する法規(第14条)『ウタノホン上 教師用』文部省、昭和16年(1941)、p.143.)、必修という形で重視されたことが分かる。制度というものは、解体的に構築しなおすことが難しく、既存のものを土台として、そこに付加するという形で発展していくということがある。既に存在した「唱歌」に、新たに「鑑賞」が加わるという形で制度を実現させたことは、結果として、その普及には有利であったと考えられる。具体的に活動の内容や方法を示すことができるため、「表現」と「鑑賞」を同一に見るような新しい指導の在り方よりも、学校教育の現場においてすんなりと理解・実施される可能性が高いといえる。

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