1 変化の激しい時代に向けた教育
1-3 本書で取り上げるSTEAM教育
1-3-2 A(アート)(芸術)とE(エンジニアリング)を重視する
筆者は教員養成系の大学に勤務していますが、このような話を大学や大学院などで紹介すると、学生・大学院生の方々は「そうだそうだ」と同意してくれます。
しかし、その方々に古典的な文献を読むように指示すると「こんなのが何の役に立つのですか」といった言葉が聞かれることも珍しくありません。
この「役に立つ/立たない」というものの価値判断はなかなか根深いようです。「役に立つ/立たない」という規準による判断は、思ったほど優れたものではないことを大人が認識し、学校でもそういったことを子どもたちが実感できるように考慮することも必要なのではないかと考えます。
こうして、「役に立つ」と「意味がある」との関係は、 STEAM 教育における STEM の分野と A の分野との関係にも当てはまります。
STEMの分野、特にサイエンスS(科学)、マスマティックスM (算数・数学)の分野での発展は、意味があるかどうかはその時点では判断できないことが多く、後から歴史的に評価されることも珍しくはないのですが、「いつか役に立つかもしれない」という共通理解はなされています。
一方、Aアートについては、極論としては、現代においては「なくても生きていくことは可能」です1。
しかし、歴史上、様々な音楽や絵画が時代によって宗教や文化とともに発展してきたことを考慮すると、Aアートは「役に立つ」と並んで「意味」とともに発展してきたといえるでしょう。
一見関係ないことのようですが、例えば、歴史の教科書などでは、歴史的な事件や出来事が絵画や音楽の形で残されていることは珍しくありません。
絵画にメッセージなどの「意味」をもたせたり、音楽に宗教的・政治的な「意味」をもたせることは、歴史的な事実としてあまりにも当然なことですが、現在の我々が考える Aアートとの向き合い方とは異なっている可能性があります。
現代社会は、音声や映像を簡単に記録して、一瞬で世界中に拡散させることが可能な時代です。
そのような環境下では、絵画や音楽はAアートとして認識されます。しかし、Aアートが歴史上果たしてきた役割、つまり、政治的な役割や宗教的な役割をもってきたことを振り返ると、
我々の Aアートのカテゴライズは相対的なものでしかなく、昔の人たちにとってのAアートは「最先端のテクノロジーT(技術)だったと考えることもできます。
古代ギリシャやローマでは、音楽と数学はかなり距離が近いもので、時代とともに徐々に分化していったことは「意外な事実」としてよく知られていることですが、マスマティックスM がテクノロジーT の背景にあることを考えると、決して「意外な事実」でなく自然な発想なのでしょう。