そして、いよいよ6月23日から学生による「30 番台教室自主使用」が開始された。このことに関して、「サークル協議会」は、大学側に理解を求めるべく、高橋富雄(日本史)教養部長に、「30番台教室自主使用」に理解を求める意見書を提出した。
しかし、大学当局は、この日の夕方に急遽、臨時教授会を開き、これは「不法占拠」であり、学生の退去を命令することが決定された。
このような状況で、まず、「社会経済研究会」が6月23日の2、3日後に30番台教室に入り、次に、数日後に「濫觴同人」が入った。部室には、ほとんど机やイスもなく、「部室のないサークル」は、とりあえず部室としての空間を確保しただけという状態であった。
大学当局は、これにより6月下旬に予定されていた「サークル協議会」と「サークル活動専門委員」との団交を拒否した。そこで、「サークル協議会」のメンバーは、教養部長団交を求めて、教授会が開かれた講義室に行って、教官に直接的に団交開催を要求した。すると大学当局から「教授会妨害」「厚生補導委員長不法拘束」などの警告が次々と出された。
その後、7月に入り、1週間もすると講義も終わった。大学も夏休みに入り、キャンパスの学生の姿もどこか閑散としてきた。コンクリートのABC講義棟だけが、どこかけだるく夏の日差しを浴びていた。
ところが、夏休みで学生がいなくなるのを見越したかのように、大学側は、7月24日早朝に、青葉山に機動隊を配置し、大勢の教養部教官と事務員を動員して「30番台教室」を再ロックアウトしたのである。
【前回の記事を読む】初めは部室もなく、事務室を毎度借りていたサークル「社会経済研究会」のはじまり。