一方、我が国の古の先輩は、少し自問気味に「遊び戯れるために生まれてきたのかなあ」と言っている。
「梁塵秘抄」(老人微笑ではない)に収録されている「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ」という最も有名な歌である。
あなたも、子供が無邪気に遊んでいる姿を見て、心が浮き立つような楽しい気分になったことはないだろうか。おそらく、そのおもしろさへの共感が遊びの本質である。
いずれにしても、人間は動物にできない「遊ぶこと」ができる。人生すべてを遊びにする必要はないが、遊び心を持って日々を過ごすことで、人生の時間が少し味のあるものになることは間違いがないと思う。
遊ぶことは、まず何より楽しむことであり、純粋に人生の幸せを感じる行為と言えよう。何に喜びを感じ、何を幸せとするかは、人それぞれであり、他人に良い悪いを言われる筋合いのものではない。悪い遊びもなくはないが、ここでは良識の範囲での遊びというに止めておこう。
さて、あなたの好きな遊びは何ですかと聞かれて、自信を持って即答できる人は少ないと思う。
日本人は特に「遊ぶこと」に罪悪感めいたものを持っていて、真面目に働くことが良いことで遊ぶことは悪いことだという固定観念がある。この概念は、悪しき道徳教育の産物であり、日本人の勤勉さの根幹でもある。
【前回の記事を読む】どのような死に方が怖くないのだろうか? 桜の散り際をこよなく愛でる日本人は「滅び」に美しさを感じる特質があるのかもしれない