お気楽『辞世』のすすめ
はじめに
私たちは、時々ふと空を見上げる。人によって、何日かぶりであったり、何年かぶりであったりする。青い空に白い雲が浮かんでいると、ふぅーと息をはくような心持ちになる。そして、空の青さに幼いころふるさとで見た空を重ねてみたり、ゆったりと流れる雲にもっと自由に生きることへのあこがれを抱いてみたりする。
私たちは、空を見上げるまでもなく、何かしら、いわゆるʻ人生ʼというものを考えている。何かにつけ、自分の「来し方行く末」に思いを巡らせる。私たちの多くは、人生の道すがら、その時々の逡巡と決意を持って、学校や職業、配偶者あるいはパートナー、生活する場所など様々な選択と淘汰を繰り返している。
あまり何も考えずに選択したことに満足する人もいれば、考えに考え抜いて決断したことにすぐに後悔し始める人もいる。満足と後悔を幸・不幸とすると、人の幸福と不幸は、100%、気の持ちようで決まる。そして、人は幸福や不幸を感じながら、時を重ね、老いてゆき、死に至る。
今、地球上に生きているすべての人々に、年齢性別、国籍を問わず平等に与えられているものは、「必ず死ぬ。」ということのみである。現在が、幸福であろうが不幸であろうが、善きことを行う人であろうが悪事をはたらく人であろうが、これまでの喜怒哀楽の量が多かろうが少なかろうが、高い教育を受けていようがいまいが、一切関係ない。全く誰も異を唱えない真実であるが、このことを自分のこととして、いつ気づくかは重要である。
自分のこととしての「死の気づき」は、具体的にいつどのような現れ方をするのだろうか。それは多分、「来し方行く末」のうち、行く末があらかた想定でき、来し方を思う場面の分量の方が多くなったとき、死はそう遠くない時期の自身の有り様として意識されるのかもしれない。
今、この本を手にとり、来し方を思い出すことが多くなったなと考えているあなたは、今がすごく幸せな状態と自覚されるべきである。そのまま、少しずつ楽しみ事をしながら、少しずつ仕事をしながら、穏やかに過ごせば、それだけで幸せな人生をほぼ全うできる。
ここでは、そのような人生のささやかな〆の一品として、「辞世」を加えることをオススメしたいと思っている。「辞世?」。そう、昔の日本で武士などが、死に臨んで短冊に筆でサラサラ書く歌や句のような、あれのことである。しかし、白装束で死の直前に端座して記すものではなく、趣味の短歌や俳句のように、はたまた携帯のゲームのように、気楽に、酒でも飲みながら「辞世」を書いてみませんかとオススメするのが本書である。