【前回の記事を読む】財産とは「ほんのわずかなラッキーの証しか、せっせと貯めた禍事の種か」のどちらかでしかなく、生き様とはほとんど関係がない。
1 さて、お別れに、何を残そうか……
(6)あなたの生きた証しは何? ――「残す」ということ
片や残す財産のない人は、幸運である。煩わしいことに悩まされず、じっくり自分の人生を楽しむことができる。
残すもので代表的な子孫、職業、財産を例に示したが、この中で、あなたがこの世に生きた証拠となるものは子孫だけである。DNAの遺伝特性を挙げるまでもなく、あなたの子孫はあなたがいなければ存在しない。
職業や財産に関しては、あなたの代わりはヤマほどいるし、あなたではなかった方がもっと素晴らしい展開になっていたかもしれない。たまたまあなたがやりがいのある仕事をして、さらに裕福になっているとしたら、そのように人生を楽しむことができたことをあなたの周りの人、また世の中の人々に感謝すべきである。
間違っても、自分に能力があったからだとは思わないで頂きたい。近ごろ、自分の成功は自分に能力があったからだと誤解して、笑止な言動をされる御仁があちこちに見受けられるので、あなたもご用心された方がいい。
ところで、子孫の他に「生きた証し」と言えるものに、二つのことが考えられる。
一つは、‘地図に残る仕事’的なもの。その人の多大な貢献であることが成し遂げられたが、そのことにその人の名前は残らず、オレの生きた証しは地球上に残り続けるという事実に満足すること。
二つ目は、‘名前が残る仕事’的なもの。独創的な仕事の成果であったり、書物や作品、最近では特殊なホームページに、その人の名前が死後も残ることを、生きた証しと満足すること。
いずれにしても、ご本人が満足しなければ、生きた証しにはならない。「生きた証し」と認定するのは、その人をおいて他にいないからである。