1 さて、お別れに、何を残そうか……
(3)死んでからでは遊べない
勤勉な労働を好む程度であれば常識の範囲内であるが、たとえば、残業をする、有給休暇を残す、極端な場合は働きすぎて死んでしまう、これらは世界の非常識となっている。人生で大事なものの順序は、ʻ一に健康、二に家族、三、四が遊びで、五に仕事ʼであることを、国や親はしっかり教育することである。
とはいっても、これまで真面目に働いてこられたあなたは、もっと遊べば良かったと後悔されているのではないだろうか。だが具体的に何をし残したかは、はっきりしない。
遊ぶことがすべての幼年のころは、遊ぶという意識がなかった。学童から就学を終えるまでは、勉強の対極に遊びが意識され、仕事を持つと仕事以外に遊びの領域が認識される。付き合いのゴルフや家族との日帰り旅行のように、仕事の空き時間にスケジュール化されたもうひとつの行事が遊びとなる。
勿論、それらもすごく楽しい時間を得ることができるが、自分自身が心置きなく楽しみ、湧き立つような喜びを得るための遊びとは少し違う。そのような意味で、自分の好きな遊びを仕事にできる人は、ごくまれである。
そこそこ人生の後半にさしかかったご同輩によく見られるお楽しみの遊びは、年に一度は夫婦で、あるいは友人と海外旅行や、日本百名山の踏破、八十八か所の札所巡り、また毎日の農園通いなどの屋外活動型から、趣味の読書や調べ物、あるいは何もすることがなくてとりあえず図書館で時間を過ごしたり家でゴロゴロなどの室内型、その両方の晴耕雨読型などであろうか。
さらに、それまで我慢していた趣味に没頭する趣味一徹型。たとえば、撮り鉄、乗り鉄などの鉄ちゃん、バードウォッチング、釣りなどであろうか。この趣味一徹型が、最も湧き立つような喜びを得やすいのであろうが、いずれにしても楽しく遊べばいいのである。
一般的に、60歳前後から人は、何はばかることなく過ごせる自由な時間が増えるから、誰はばかることなく好きなことをやればいい。しかも、若僧のときにはなかった小金もある。こんな幸せな時期は人生の中でも貴重であるはずだが、ここで、用心しなければいけないことが二つある。