1 さて、お別れに、何を残そうか……

(2)死に方より生き様

それでは少し見方を変えて、「思い通りになる」のが、良い生き様であろうか。思い通りにならないのが人生という言葉もあれば、思い続けていれば必ずそうなるという格言もある。これは、矛盾するようであるが両方とも正解である。

その場その場はいつも失敗ばかりで、望む結果とは程遠いことが重なっていても、何となくこうなりたいなと思っていれば、気がつくと自分のイメージに近い生き方をしているものである。

すべての人がそうなるわけではないが、おそらく、納得してくださる方も多いと思う。生き方の目標は、日々の過ごし方に設定するのではなく、ある時点で到達したい自分の有り様をイメージして、そこに設定するのがいい。

なりたい自分は、お金を持って優雅に生活する自分であったり、世のため人のためになることで社会に貢献する自分であったりと、そのイメージも千差万別であろう。

しかし、「なりたい自分イメージ」を持って生きることは、その人の日々にハリと楽しさを与えることは確かである。

一方、「死に方」に良し悪しはあるのだろうか。

日本人には、生き様より死に方の方が大事という、考えようによってはヒネくれた考え方がある。

武士階級のしきたりとして、忠に背いた場合や義に殉じる身の処し方として切腹という死に方がある。その文化を突き詰めれば、「武士道とは死ぬことと見つけたり」となる。

しかし、どんなに無様であっても生きているという事実の方に、人間の勁(つよ)さや美しさを認めたい。

よって本書では、切腹などという行為は最悪な死に方と断じておこう。武士や、その死に様を信奉する人は、勝手に死ねばいい。しかし、圧倒的多数の庶民は、死ぬのがイヤだ。死ぬのが怖い。それこそ、死ぬほど怖い。

それでは、怖くない死に方というのが「良い死に方」になりはしないか。どのような死に方が、怖くないか? その答えは、多くの先達が言葉を残しているが、立派すぎるものが多くて、ここで紹介する気にもならない。

特に、宗教関係は、型にはまって答えが明確なものが多い。曰く、信仰により心が救われる。逆説的にいえば、何が怖いか、どうしたら怖くなくなるかなど、誰も分からないし、人それぞれだから、何も考えずに、今日できる楽しいことに没頭するのが最善と考えるが、あなたはどう思われるだろうか?