事故に遭った妻は…

結局達郎は、JRを利用して、金沢に向かった。けれども、金沢第五病院に到着した時には、既に智子は死亡していた。享年三十四歳だった。

警察の話では、智子は、歩行者用の信号機が青の点滅が終わり、赤になった時に飛び出したところを、左折してきたライトバンにはねられたとのことだった。

歩行者用の信号機が赤とはいえ、横断を終了しきれない歩行者や飛び出してくる者がいることは十分に予想されるので、車を運転していた者の前方不注意ということだった。智子に連れはいなかった。

一方、医師の話では、智子は車にはねられ、地面に叩きつけられた時に、左の側頭部を打ち、頭蓋骨が陥没し、病院に運ばれてきた時には、意識がもうろうとしており、緊急手術の最中に死亡したとのことだった。

達郎は、警察と医師の話を聞きながら、智子は友だちと旅行に来ているのであれば、どうして、その友だちがいっしょにいないのか、気になっていた。友だちとは、どこかで別れて、その後に事故に遭ったのだろうか……。

たいてい女性同士が東京から金沢など遠隔地に旅行に来た場合、親戚や知人がいる時を除いて、途中で別行動をとることは、ほとんどありえない。それに、智子は、どこへ行くのにも、ふだんから友だちといっしょに行動しており、一人で旅に出たことなど、学生時代を通じて聞いたことがなかった。

この点は、智子の母も姉の聡子も同感だったらしい。金沢市内にある葬儀屋の車で、智子の遺体を東京に搬送する途中、その話題になった。母の話によると、智子は友だちと行くとだけ言っていたので、誰といっしょに行ったのか、わからないということだった。

ただ、達郎には、智子の親しい友人に、二、三人心当たりがあった。中でもよく旅行していた友だちに、伊藤千絵というのがいた。

もしかしたら、彼女といっしょだったのではないかと思った。だが、一人ずつ、智子といっしょだったか、と尋ねるわけにもいかないので、彼女たちには単純に智子の死亡を連絡して、その反応を見よう、ということで三人の意見が一致をみた。

達郎たちを乗せた車は、夜明けの高速道路を、東京方面に向かって突っ走っていた。