【前回の記事を読む】音楽の授業が成立しない?音楽鑑賞指導の類型と適切な順序とは。
第1章 「楽しさ」と「実感」がある授業のために…
1-5 教科とは ── 音楽という教科
ここで、一体「教科」(国語とか算数・数学、といったイメージがあろうかと思います)はどんなものであるか、「教科」とは何かということを考えたとき、「今日まで、総合の時間の解説も含め、この教科等の構成の在り方なり、教科の性格について頭からとりあげた論文なり書物はなかった」1)との指摘(平成25年当時)から、「教科」について整理しておくことにします。
各教科、また、その系統性というものは、各教科の専門家や大学で学問研究をしている該当教科の専門家に関したことであって、わが国における問題解決学習か系統学習かの論争も「アメリカが宇宙競争でソ連に負けたのは、アメリカの科学技術が負けたからであり、これを立て直すには学校時代のできるだけ早い段階から大学で一線級が取り組んでいる科学技術(=教科)を教え─学ぶ必要があるといった認識である。一刻も早く生活適応主義─経験主義教育を改めるべきであるというのが教科書編纂の基本方針だった」2)という事情によることです。
その上で、「宇宙競争の負けなり、つけを、あるいは知識の日進月歩の要因を、もっぱら子どもに回すというのはどうであろうか。“なぜ、子どもが”、であろうか。子どもが自らの生活を犠牲にしてまでなぜ大人の言うことを聞かねばならないのだろうか。学校にはそれなりの教育の目標なり、目指す子ども像がある。それらから学ぶべき内容を導き出して、どうして問題があるのだろうか。子どもは子どもとして尊重されるべきであろう」3)という主張があります。
一方、終戦後間もない昭和22年の学習指導要領では、「目標に達するためには、多面的な内容をもった指導がなされなくてはならない。この内容をその性質によって分類し、それで幾つかのまとまりを作ったものが教科である。このまとめ方にはいろいろな立場があるので、教科といっても、そのたて方にはいろいろあるわけである」4)といった教科観に立っていました。
これらのことを踏まえると、「わが国で“教科”というとき、その見方には大きく二つの見方が提出されてきたといえよう。一つは戦後の新教育の影響を強く受け、このもとで教育の目標を達成するための経験の組織が教科であるといった児童中心の見方を提出したような教科観であり、他は、むしろ大学で行われている学問研究なり科学研究に範を求め、これを高等学校→中学校→小学校に下ろしてくることこそ大事だとする大人中心の教科観である。子ども中心か大人中心かによって“教科”の見方なり在り方は大きく変わってくる」5)といえるわけです。