【前回の記事を読む】「もったいない世代」が生きてきた時代とのギャップが、老人ホームで問題に…「家ではやっていること」が施設の当たり前ではなく……

第二章 よりよい老人ホームにする手掛かり

ホーム小話2 猫の手も借りたい?

私が二階ティールームのシンクで入居者たちの飲み終えたカップを洗っているとそこに入ってきた新人スタッフが言った。「あらっ、ありがとうございます。猫の手も借りたかったので」

それで私は怪訝な顔をして「猫? ここには猫はいませんよ。ペット連れ込みはできないし、ノラ猫一匹入ってこれません。しっかり鍵がかかっていますからね。もし言うならば、ばあちゃんの手も借りたかったと言うべきよ。ばあちゃんはいっぱいいますよ。じいちゃんもいますがお願いしてもダメ、家では自分の湯のみ一つ洗ったことのない人たちですからね」

(男子厨房に入らず──今は妻に協力しない男性なんぞ三下り半をつきつけられる時代です)

スタッフとの越すに越せないギャップ
それは我々入居者は「家」を離れたこと

私は今まで折々にスタッフと入居者とのギャップを書いてきた。しかしそれは主に世代(生きてきた時代、その世相、その生活習慣)によるものだった。

これらのギャップは平均年齢九十歳の入居者と我々の子どもや孫にあたる年齢のスタッフたちだから誰もがうなずける。

しかしこの章でいうギャップは世代の差ではなく、老人ホーム入居は、引越とは違い「家を離れる」ことを意味するということだ。

引越は必要に応じてせざるを得なかったということを含めても、新天地への多少の不安はあっても、そこには目的、次への期待、希望があった。

改めて私の今までの人生における引越を書き出してみた。

誕生したのは大塚の家(しかしこれは私の確かな記憶とは言い難く、後に家人から聞いてイメージしたものなのかもしれない)、笹塚の家(大塚から笹塚に引越した理由は聞いてないので知らない)、

笹塚が東京大空襲にあって信州(小諸から一里ほど、浅間山の麓に向かった寒村)での疎開生活、引き揚げてきたのが母の実家の三田の家、同棲時代の大学近くのアパート、

子どもが生まれて夫の実家、洗足池の家に一年あまり、そして上北沢のマンション、さらに上北沢でも一戸建ての借家、そしてさらに上北沢に通り一本で接していた桜上水、そしてこの老人ホーム。

なんと改めて数えてみるとこの老人ホーム入居が十回目の引越である。つまり引越は人生の次へのステップ、通過点だった。その数に驚いたが他の入居者たちはどうなのだろう。

私の引越回数が例外的に多いとは思えない。老人ホーム入居はその先がない、これを行き止まり「終の棲」と私は呼んだ。

上北沢の家にはほぼ六十年、この「家」には家族がいた。その家族を中心に友人、知人がいた。ほとんど交流の絶えた人たちともこの「家」にいる限り、情報は入ってくるだろうという思いもあった。つまり家とは単なる建物ではないということだ。

家の中には手垢のついた家具たち、好みの食器もあった。

長年住み慣れた街では、親しく近所付き合いをしてこなかった私でも会釈して通り過ぎる人を他人とは思わなかった。