【前回記事を読む】「3日も熱が続くのはおかしい」と母を病院へ連れて行くと…病名を聞き、「入院が必要」頭が真っ白になった。
第十三章 春の別れ
入院初日、母はとても不安そうだった。
「ここはどこ……? 恵美、ここはどこなの……?」
「病院だよ、お母さん。肺炎の治療をするために入院したの」
「病院……」
母は周りを見回した。白い壁、白いベッド、白いカーテン。窓の外には、青い空が見えた。
「いつ帰れるの……?」
「先生が良くなったって言ったら帰れるよ。だから、今は安静にしてて」
「恵美は……? 恵美はいなくならない……?」
母の目には、涙が浮かんでいた。まるで、幼い子供のようだった。
「いなくならないよ。毎日来るから。約束」
私は母の手を握った。母は少し安心したように、目を閉じた。
入院生活は、1週間、2週間と続いた。
肺炎は少しずつ良くなっていたが、認知症の症状は悪化しているように感じられた。
環境の変化が影響しているのだろうと、医師は言った。認知症の人にとって、慣れない場所での生活は大きなストレスになる。そのストレスが、症状を悪化させることがあるのだという。
「なるべく早く退院させてあげたいですね」
医師の言葉に、私は頷いた。
「お願いします」
毎日、面会時間になると、私は病院に通った。仕事を早めに切り上げ、母のそばで過ごした。母は日によって、私のことがわかったりわからなかったりした。
「恵美……」
「うん、恵美だよ」
「よかった……恵美が来てくれた……」
わかる日は、母は安心したように微笑んだ。
「あなたは……?」
「恵美だよ。娘の恵美」
「娘……」
わからない日は、母は困惑した表情を浮かべた。でも、私が手を握ると、少しだけ表情が和らいだ。
「温かい……」
「うん。私の手だよ」
「……ありがとう」
言葉は通じなくても、温もりは伝わる。そう信じて、私は毎日母の手を握り続けた。