入院から3週間が経った頃、母の容態が急変した。深夜、病院から電話があった。

「お母様の意識がなくなりました。すぐに来てください」

私は飛び起きて、タクシーを呼んで病院に向かった。

病室に駆け込むと、母は酸素マスクをつけて横たわっていた。目は閉じられ、顔色は青白かった。

「お母さん!」

私は母のベッドサイドに駆け寄った。母の手を握った。冷たかった。

「お母さん、聞こえる? 恵美だよ。恵美が来たよ」

母は反応しなかった。

医師が説明してくれた。肺炎が悪化し、血中の酸素濃度が低下しているという。人工呼吸器をつけるかどうか、決断を求められた。

「つけてください」

私は迷わず答えた。

「まだお母さんと一緒にいたい。お別れの準備ができていない」

医師は頷いて、処置を始めた。

人工呼吸器をつけた母は、それから3日間、意識が戻らなかった。

私は会社を休み、母のそばについていた。母の手を握り、話しかけ続けた。

「お母さん、聞こえてる? 恵美だよ」

反応はなかった。でも、私は話し続けた。

「今日はね、天気がいいよ。桜が咲き始めたんだよ。去年、一緒に見たよね。今年も一緒に見ようって約束したよね」

母の手を握る力を、少し強めた。

「お母さん、まだお別れしたくない。まだ一緒にいたい。だから、頑張って」

涙が止まらなかった。

「北海道にも、また行こうって言ってたじゃない。ラベンダー、また見に行こうよ。青い池も、小樽も。お母さんが好きな花をいっぱい見に行こう」

母は何も答えなかった。ただ、人工呼吸器の音だけが、規則正しく響いていた。

4日目の朝、母が目を開けた。

「お母さん!」

私は母の顔を覗き込んだ。母の目は、少しぼんやりしていたが、確かに私を見ていた。

「え……み……」

人工呼吸器があるため、声は出なかった。でも、唇が「恵美」と動いた。

「わかるの? 私のこと、わかるの?」

母は小さく頷いた。私は泣きながら、母の手を握りしめた。

「よかった……お母さん、 よかった……」

医師が来て、母の状態を確認した。意識は回復しているが、まだ予断を許さない状況だという。でも、私には希望が見えた。母はまだ諦めていない。まだ一緒にいようとしてくれている。

それから数日、母の意識は安定していた。

人工呼吸器が外れ、酸素マスクだけになった。会話はできなかったが、目と手で意思疎通ができた。

「お母さん、痛いところない?」

首を横に振る。

「喉乾いてない?」

小さく頷く。

私は湿らせたガーゼで、母の唇を拭いた。母は気持ちよさそうに目を閉じた。

「桜がね、満開になったんだよ。病院の窓から見えるかな」

私はカーテンを開けた。窓の外には、桜の木が見えた。ピンク色の花が、青空に映えていた。

「きれいでしょ?」

母は窓の外を見て、少し微笑んだように見えた。

「退院したら、お花見に行こうね。去年と同じ川沿いの道。一緒に歩こうね」

母の目から、涙がこぼれた。私も泣いていた。

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「これ以上の延命は苦しめるだけ」と医師に言われ、横たわる母の手を握りながら「お母さん、どうしたい?」と問いかけた。

 

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