二
珠輝が在学当時の視覚障害者の職業といえば、按摩(あんま)師・鍼(はり)師・灸(きゅう)師が大半だった。
だから、白杖を突いて歩く視覚障害者を見た世間の人々から、一も二もなく、
「按摩さんが歩いてる」
と言われたものだ。その他、視覚障害者に開かれた職業として、盲学校の教員、三味線やお琴の師匠、電話交換手、ピアノ調律師などがあった。
しかし、彼等がこれらの職に就くには本人の能力はもちろん、ある程度親の財源と理解が必要になってくる。
だが、たまには奇跡が起こることもある。珠輝が小学生の高学年だった頃、奇跡が起きた。珠輝の先輩に当たる男性で、道を切り拓いた人がいたのだ。
彼は先天性視覚障害者で、明かりを知らない人だった。彼は幸運にも一般大学を卒業し、一般校の英語教師として就職することができた。
珠輝は彼のニュースをラジオで聞いて知っていた。彼は時の人だった。その彼が珠輝たちの施設を訪れたとき、素晴らしい美声に魅せられた珠輝は、芸能人に会ったような気分だった。
この人の存在は、珠輝に就職への希望を抱かせるものだった。
さて、珠輝が按摩師として社会に出るには、何が何でも「検定試験」に合格しなければならない。つまり、国家試験の前身である。この難関を突破して初めて按摩師・鍼師・灸師の免許申請ができる。
中学を卒業し、按摩科で二年間学ぶと、「検定試験」を受けることができる。珠輝が按摩科に入った当時、二十名のクラスメートがいた。