堀溜沿いの桜並木はとっくに花を散らし、今は青々と若葉を繁らせている。その中に柳の巨木が一本、川面に大きく枝を張りだしている。その柳の木陰に、いつもならあるはずの顔がなかった。

いつもの顔は、その手前の桜の木の下にあった。

「こんにちは。ご隠居さん、伊兵さん」

声に振り向いたご隠居が笑顔となり、伊兵も口の端をわずかに上げる。

「ずい分とお久しぶりですな、太平さん」

ご隠居と伊兵。二人を見ると、太平はいつも狸と狐を思ってしまう。

もっとも、本物の狐はまだ見た事がない。狸とは夜にばったりと出くわしたが、すぐに藪(やぶ)に消えたから、光った目と黒い尻尾(しっぽ)くらいしか覚えていない。だから太平に浮かぶのは、信楽焼の狸の置き物と、縁日で売られていた狐のお面の方だ。

ご隠居は中背小太りで、釣りの時にはいつも檜の菅笠をかぶっているから、竿の代わりに通い帳と徳利を持たせれば、そのまま狸の置き物となる。もっとも、目はあんなにくりんとしていない。奥まってしょぼんと小さい金壺眼(かなつぼまなこ)だから、良く見ないとあるのかないのか良く分からない。

伊兵の方は長身痩やせ形で、顔も狐のお面のようにしゃきりとしている。目も彫刻刀で刻んだかのように、細く鋭く切れ上がっている。

「もう、ちぬに鞍替えしたんやと思ってましたわ」

ご隠居が少し恨みがましく言う。太平の顔を見るのは十日ぶりほどなのだ、文句の一つも言いたくなる。