母との阿吽の呼吸春便り(きよこ)

母の晩年の趣味は、草花を育てること、育てた草花の写真を撮ること、俳句を作ることだった。

花を愛でることが好きで、かなり高齢になるまで草花の世話をしていた。小さな庭の手入れを楽しそうにやっていた姿が目に浮かぶ。株分けした多くの鉢物を並べ、室内には季節の花を絶やさなかった。

そんな花々を撮りたいという目的で写真を始めたのは、一人暮らしになってからのこと。私がイチから手解きしたが、最初から大型カメラ希望で一眼レフを使いこなしていた。ロールフィルムの時代で、フィルムの入れ方、巻き取り方、構え方など基本的なカメラの扱いを伝授した。習うより慣れろでなかなかの傑作を撮っていた。

近所の写真屋さんとお馴染みになり、現像に出していた。写真屋さんは、いい作品が撮れていると大きく伸ばして、お店のショーウインドウに飾ったり、勝手にコンテストに応募してくれたり……これらのことも本人の励みになっていたようだ。後にこの写真屋さんは閉店してしまい、母の写真の趣味も終わりとなった。

現像の必要のないデジタルカメラを勧めてみたが、手指の感覚が鈍ってきたためか、シャッターボタンを押すことが困難で切り替えは無理だった。

しかし、母が亡くなった後には、多くの花のアルバムが残されていた。「花と共に生きる」と自分で言っていたように、本当に花が好きだった。

もう一つの趣味が俳句である。独り身の母を気遣って、母の弟が誘ってくれたのがきっかけ。句会にも出かけていたようだ。育てている草花や、亡くなった夫を偲ぶもの、小旅行などが題材だが、圧倒的に多いのが夫を詠んだ句である。

夫に先立たれ同じ境遇に立たされた私が今読むと、共感できるものばかり。一人になって何十年経っても夫を想い続けていたのだなあと思う。

 

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