当時、両親の食費のやりくりは、食べ盛りの子どもたちを抱えて大変だったろうと思う。ある休日の昼食。炬燵(当時は炭火)のやぐらをひっくり返して網を乗せ、コッペパンを焼く。こんがり焼いてマーガリンを塗って頬張る。うまい。おかずは魚肉ソーセージ。小学校では給食も始まり、コッペパンとやかんに入った脱脂粉乳が定番だった。最初の頃はマイ食器を袋に入れてランドセルの脇にぶら下げて登校していた。虚弱児で食の細い私…
[連載]大波小波
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エッセイ『大波小波』【第4回】柊 ゆう
違和感を感じてトイレへ。「えっ、私大変な病気かもしれない」と青ざめ、家族全員の前で「血が出たの」と大きな声で告げた
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エッセイ『大波小波』【第3回】柊 ゆう
「積極性がないのが残念です」―今の時代なら、一種の発達障害として特別の支援が必要な子と見なされていたかもしれない。
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エッセイ『大波小波』【第2回】柊 ゆう
夫と私の二人音楽会からアンサンブルへ。地域でボランティア活動をして九年目に夫が亡くなり再出発するもコロナ禍に巻き込まれ…
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エッセイ『大波小波』【新連載】柊 ゆう
六十歳、定年退職後に出会ったクラリネット。「初心者用セット」を注文していざ挑戦!