【前回の記事を読む】違和感を感じてトイレへ。「えっ、私大変な病気かもしれない」と青ざめ、家族全員の前で「血が出たの」と大きな声で告げた

第二話 雪降る町で

一瞬空気が固まった気がした。全員沈黙の後、最初に口を開いたのは父だった。

「そうか、お母ちゃんに教えてもらいなさい」

病気ではないらしい。

その後、股の部分がゴム引きで黒い大きなパンツを履かされ、手当の仕方を教わった。今のようにスマートな生理用品ではなく、広い大きな脱脂綿を適当にちぎり重ねて使用していた。

家には母始め三人の女性がいたにもかかわらず、その方面の知識はゼロで何も教えてもらっていなかったのだ。末っ子でいつまでも子ども扱いされていたが、この日を境に子どもから女性への仲間入りをした思い出の日となった。

中学生になっても人前で話すことは苦手だった。日直で担任の先生のところに連絡に行っても「おはようございます」と声に出して言えなかったほどである。

そんな私に転機がやって来た。引っ込み思案の性格を直そうと、担任の先生が私に大変な試練を与えた。

毎年正月二日に全校生徒が集まって新年の集いをやる。学年で代表一人が出て、新年の抱負を述べる慣わしだった。この役を私が任されたのである。中学二年の猪年の正月だった。冬休みに入ってすぐに家に連絡があった。

最初聞いた時、絶対無理だと思った。学級内でも話せないのに、全校生徒の前でしかも壇上で話せるわけがない。担任の先生は、「ちゃんと原稿を作ればやれる、お前ならできる」と励ましてくれた。

積極性のない自分の性格にも嫌気がさしていたので「やってみよう、やってやろう」という気がしてきていた。まず原稿を作る。相談相手になってくれたのが父だった。

この時初めて「猪突猛進」という言葉を父から教わった。猪のように勇ましく突き進む意味であるが、むやみに周りも見ずに凄まじい勢いで突き進む無鉄砲の意味にもとれる。多分父は、いつも人の陰に隠れてウジウジしている娘に、勇気を出して進め、と言いたかったのだろう。