七、小学校一年生の時、静岡へ家族疎開した
そこは、瓦葺きの平屋建ての農家の離れだった。台所と部屋が五つもあり、風呂は五衛門風呂(注二)だった。
建て込んでいた京都市中京区の檜町とは異なり、周囲の建物はまばらで、旧東海道に面した松林のある静かなところで、ここなら爆撃は来ないだろうと思えるほどの片田舎だった。
冬休みに入った翌日、母と一緒に有度村国民学校(小学校)へ転校手続きに行った。
静岡は、風が強くて寒いところだったが、その日は、日が照り快晴でのどかな日だった。東海道の松林を歩きながら両側に、何列にも広がる丸い緑の畑を眺めながら歩いていた。
「正夫。あれが、茶畑よ。静岡はお茶が名産なのよ」と母が教えてくれた。初めて見る茶畑の風景にみとれた。
「お母さん。緑がきれいやね」
「きれいやね」
母に寄り添って暫し立ち止まりながら眺めていた。突然母が、「正夫。ほらっ。富士山が見えるよ」と東の方を指さした。
生まれて初めて見る雪をかぶった富士山の雄大な姿は素晴らしかった。みとれた。
「うわぁ。お母さん。あれが富士山。格好いい!」と言った。私と母は暫くそこに佇んで富士山をじっと眺めていた。母と共に癒やされた平和なひとときだった。