七、小学校一年生の時、静岡へ家族疎開した

京都の朱雀第七国民学校(小学校)で一年生の二学期が終わろうとしていた。友達もできて楽しく学校生活を送っていた。ところが、それができなくなってしまった。その頃、戦争が、日本本土に及んできた。

冬休み直前、我が家で「おかしいなぁ」と思うことが起こっていた。祖父とT叔母が何日も家をあけて帰ってこなかった。寂しかったので、祖母に、「おじいちゃんとおばちゃんは、どこに行ったん?」と聞いた。「明日帰ってくるから心配しないで」と理由は教えてくれなかった。

翌日、祖父たちが帰宅した。夕食の時、家族全員が揃った。祖父が硬い表情で切り出した。

「アメリカとの戦争が激しくなってきた。東京の一部が空爆されたようだ。次は、京都か大阪が爆撃されるかもしれないと噂が飛んでいる。ここに住んでいては危ない。家族の安全を守るため、静岡の片田舎に引っ越しすることにしたい。とても、いい家を借りることができた。あそこなら安全で安心して暮らせると思う。京都空爆も時間の問題と思うので早く静岡へ引っ越したい。みなを守るため了承してほしい。戦争は、これから今以上に激しくなると思う。