八、村の子供たちから関西弁とランドセルでいじめられた
静岡の小学校に初登校する朝。母に連れられて、みんなが集まる場所へランドセルを背負って行った。十数人の上級生や下級生が集まっていた。
母が、「みなさん。お早うございます。今日から、みなさんと一緒に登校します息子の棚橋正夫と言います。仲良くしてやって下さい。よろしくお願いします」とみんなに頭を下げた。
私は「棚橋正夫です」と帽子を脱いでぺこりと頭を下げた。がき大将みたいな上級生が、「えっ。何て言う名前?」と関東の言葉で聞き返した。
「た・な・は・し。棚橋と申します。みなさん。よろしくです」と母が言った。「たなはしか。棚橋だって。みんな仲良くしてやれよ」と言ってくれた。
「じゃ。行こうか」とリーダーが登校を始めた。私だけがランドセルを背負っていた。みんなは、手作りの肩掛けカバンだった。
歩き出した。みんなが話している静岡の言葉(以下関東弁と表記)は、かっこ良くここちよく聞こえた。関西の言葉と比べると歯切れ良くきれいな言葉に聞こえた。
ある子が、「君。どこから来たんだ?」と聞いてきた。「ぼくは、京都から来たんや」と関西なまり(以下関西弁と表記)で答えた。みんな顔を見合わせクスクスと笑った。