村の子供たちから「関西弁」と「ランドセル」でいじめられた
一年一組の教室に入った。棚橋正夫君と書かれた机に座った。
当時は、関西からの転校生などいない時代なので、クラスメイトは、新入りの私が珍しく興味を持って話しかけてきた。また、喋ると笑われると思い「うん」と「はい」しか答えなかった。
「何だ。こいつ。愛想がない奴だ」と思われたようだった。
授業で担任の先生がやって来た。
「棚橋くん。教壇へ来なさい。みなさんに挨拶しましょう。どこから来たのかと名前を言って下さい」
と言われた。
「はい。ぼくは、京都から引っ越してきました。棚橋正夫といいます。よろしくお願いします」
と関西なまりで挨拶した。するとクラス全員が笑った。
先生、
「静かにしなさい。棚橋君は、関西から来たので関西の言葉しか話せません。笑ってはいけません。棚橋君が可哀想です。いいですかみなさん」とみんなに諭してくれた。
しかし、一言言うと笑ったり、からかわれたりするので話すのが恐くなっていった。
関西弁ってそんなに可笑しいのかと疑問に感じた。
学校から帰宅した。元気のない私を見た祖父から、
「正夫。学校はどうだった」
と聞かれた。
「別に」と答えていじめられたことは話さなかった。
「何かあったら、何でも言いなさい」
と優しく言われたが黙っていた。
翌日から、嫌だったが集合時間ぎりぎりに行った。そして、黙ってグループの後ろについていった。誰も何も話してくれなかった。無視されているように思えた。寂しかった。
そして、学校でも必要なこと以外は喋らなくなった。
京都の学校は好きだったのに静岡の学校は嫌いになっていた。
元気もなくなり大きな声も出さなくなった。友達もできなかった。しょんぼりしていた。
学校に行くのが辛くてたまらない毎日が数日間続いた。
帰宅すると、いつもひとりぼっちで自転車に乗って遊んでいた。