その頃の母は、私にとても優しく話もよくしてくれて大好きなお母さんだった。

自宅から学校まで徒歩で約二〇分くらい。職員室の応接間で担任の先生に会い転校手続きを済ませた。教科書と時間割をもらって、京都と同じ、一年一組の教室に案内された。

「棚橋君の机はここです」と棚橋正夫君とひらがなで書かれた机を紹介された。自分の名前が書かれていたのでとても嬉しかった。

この冬休みが終われば、自宅付近の子供たちと一緒にグループで登校するよう先生から指示された。「三学期からよろしくお願いします」と挨拶をして帰途に就いた。

帰りは、茶畑と茶畑の間にある農道(後述の機銃掃射を受けた場所)を通って田舎ののどかさを満喫していた。富士山が、毎日見える学校に行けると思うと楽しくてしかたがなかった。

ところが、三学期の初日の登校から、思いもよらない出来事が起こった。

注二:「五右衛門風呂」 安土桃山時代の盗賊の石川五右衛門は、京都の三条河原で釜ゆでの刑で処刑された。それにちなんだ風呂桶のこと。丸い風呂桶の下が鉄の釜でできていて、風呂に入るときは桶の底へ踏み板を沈めて、火傷をしないように入った。