【前回の記事を読む】跡取り息子に思わぬ落とし穴。――父親存命中も成果を出し、跡を継いでからも事業は好調。好調なだけに、そのプレッシャーで…
1 ある事件
心配になったところで自宅まで押し掛けるとは、よっぽど差し迫った用事だということだ。余計な詮索をしていることを悟られてはいけない。
「携帯に連絡は入れたのかしら?」
夫人は静かに聞いた。
「はい、携帯にも連絡は入れてみたのですが、つながらなくて……」
「あら、そう……?」
そこまでの問答の間、あずみはふと違和感を覚えた。やけに夫人の様子が落ち着いているのだ。息子の一大事に、母親である夫人がここまで落ち着いているだろうか―?
あっ!
―夫人は病院にいなかった!
「いや! あ、あの、結構です。ちょっとこちらのほうに寄る用事があったので、来てみただけです!」
あずみは弁解する。
「あら、そうなの? ごめんなさいね。あの子一度帰ってきたのだけど、すぐ飛び出していったのよ。もしかして携帯の電源が切れているんじゃないかしら?」
夫人は悠長に答えている。
「はい! きっとそうだと思います! 失礼しました!」
あずみは早々に玄関をあとにした。夫人との会話を続けていて、あずみは夫人が今回の事件について知らされていないのではないかと感じた。
男女間のもつれでけがをしたとなると、会社のダメージはスキャンダル的にもかなり大きい。それなのに、会社の経営にも携わる家族の者が知らないとなると、つまりそれは、その交際すら知られてはいけないということではないだろうか?
いや、たとえ交際そのものはすでに知られてしまっているとしても、もしかすると反対されているような間柄なのではないか?
ましてやその交際が、痴情のもつれというところまで発展して事件を起こしている……。
やはりデリケートな問題だから、真琴に事情を聞くまでは夫人にだって迂闊に話してはいけないと思った。
母親に内緒の傷害事件。これは一大事のような気がする……。