【前回の記事を読む】たとえ遅れてきたとしても、どれだけでも待つつもりの栞。しかし待ち合わせ時間より少し前に彼は現れる…
アザレアに喝采を
Ⅱ 恋の歓び
「こんな給料でやっていける? 栞ちゃん大丈夫?」
確かに谷口はそう言った。
それは、結婚を意識しての言葉と捉えて何の問題もないような気がした。きっとそうだ、谷口は結婚を前提にこれからの交際を考えていてくれるのだ。
酔って本音が出たんだわ、そう思った栞は谷口とのことを母の多恵子にだけは話しておこうと決めた。必要以上に何でもかんでも話しては、付き合いが上手くいかなくなった時にがっかりさせてしまうことになる。
そう考えるから交際相手のことを親に打ち明けることには慎重になっていた。
学生時代の付き合いとはもう違うのだ。これからは交際の延長線上には結婚がある。けれど改まって話すのはまだ違うような気がして、ひとまず多恵子に話しておけば父の一郎には自然と伝わるだろうと考えた。
多恵子は女親らしく娘の恋愛に口を挟みたがる方だったが、一郎は栞のことでそう煩(うるさ)く言うことは何もなかった。温厚な性格で家のことも娘のことも何もかも多恵子に任せきりだった。
それでも最近は体調も良さそうで、あか抜けて綺麗になっていく年頃の娘の結婚のことだけは、一郎にとっても気にかかることだった。
栞としてはダイエットが行き過ぎて拒食症になったこと、すい臓を悪くして薬で治療を続けていることに負い目を感じ、これ以上両親に心配をかけるわけにはいかないと思っていた。
だから二人を安心させるためにも、そろそろ谷口との交際のことは話しておこう、報告すればきっと喜んでくれるに違いない。
谷口の勤務先は名の通った建設会社で、建築士という肩書や出身大学などの経歴のほかにも、谷口には三つ年上の兄がいて兄夫婦が両親と同居していること、年子の妹は既に遠方に嫁いでいることなど、どれをとっても多恵子が気に入らない要素はないはずだった。自信をもって谷口との交際を報告できることが誇らしかった。
それなのに奇跡のように感じていた出会いの後は恋のお決まりのパターンに陥っていく。