【前回の記事を読む】第二次世界大戦中、いわゆる「最後の早慶戦」の応援席に祖父はいたという。野球が「敵性スポーツ」だとして公式戦が開けないなか…
第2章 一苦一楽 〈二〇〇五年夏〉大山諭、影の主役
松子は「へへ、ちょっとね……」はにかむように、それでも上機嫌に告白し始めた。大正十五年九月、三田四国町、現在の港区芝に生まれ育つ。
「あんた、お由良さん、知ってんでしょ? お由良騒動で有名な。彼女も在所(ここ)の出身なのよ。大工の娘だっていうじゃない」。
薩摩藩の島津斉彬 (なりあきら)と久光の父斉興 (なりおき)の側妾(そばめ)をまるで幼馴染のように言いながら「あたしは床屋の娘だけどね」と舌を出す。爾来(じらい)、和裁の腕一本で生計を立ててきた。慶応のおひざ元とあって学生の下宿が多い。
「はす向かいの八百屋さんに下宿している野球部の人がしょっちゅう、うちに髪を切りにきていたわけ。格好よくてね。あたし、光る君って呼んでいたのよ。紫式部の源氏物語って知ってるわよね? 主人公の貴公子・光源氏になぞらえてね」
「(なるほど、その人を想って若やいだ気分になっていたのか)光る君って誰?」と口を挟むと、「父がヒデちゃん、ヒデちゃん、って可愛がっていてね。よくご飯を食べさせていたのよ、二階に呼んで。おさんどん役があたしってわけ。よーく、富士山や太平洋の大海原の自慢話をしていたわよ」。そのヒデちゃんが、「最後だから」と言って手渡してくれたのが早慶戦の切符だった。
「いとしの君にね、戦争に行く前にお守りを渡したの。ほんとはね、古銭を縫い付けた肌襦袢を持たせたかった。幕末の剣客伊庭八郎が、いいヒトにもらったんだってよ。この守り襦袢を着て長州と戦って死にますかって笑ったんだってさ。でもヒデちゃんに死なれちゃいやだし、なんせ、うちは貧乏でしょ。だから愛宕(あたご)神社に行ったの、東京タワーの近くにあるでしょ。
エッチラ、オッチラ、出世の石段とかいう急な階段を上ってね。武運長久に御利益(ごりやく)があるって聞いたから、必死だったわよ。ヒデちゃんは故郷の英雄だと言って、徳川家康をことのほか尊崇していたしね。お守りを渡したら、神君伊賀越えと勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)の逸話を教えてくれた」