【前回の記事を読む】【司馬遼太郎の謎】母について一言も話さないのと同じように、『芦名先生』についても意識的にふれていない。もしこの謎が解ければ…
第一章 司馬遼太郎の育った庭
一 上宮中学校
芦名先生と二編の随筆
上宮中学校に司馬さんの人生を決めた二人の先生がいたことはすでにお話ししました。本題に入る前に、まずは芦名先生の経歴を簡単に書いてみたいと思います。
芦名先生の経歴は英語の先生と違い、かなり詳しくわかっています。なぜなら、学園に戦前の先生直筆の履歴書が残っていましたし、『上宮』第30号に掲載された「先生自宅訪問記1」に芦名先生とご家族のことが詳しく書かれていたからです。
芦名先生は明治二十四年、高槻市の真宗のお寺に生まれた僧侶兼教師でした。東京の東洋大学を卒業後、しばらく他府県の公立中学校に勤務の後、故郷に帰り、改めて上宮中学校の国漢科教師として勤務を始めたことがわかっています。
戦後もそのまま上宮高校に勤務されていましたが、退職後は自坊の住職として活躍され、昭和四十九年に八十四歳で亡くなりました。
芦名先生が上宮中学校で司馬さんと初めて出会った時、芦名先生はすでに四十五歳のベテラン教師でした。
芦名先生が国漢科の教師として司馬さんのクラスを担当したのは、中学一、二年の二年間だけで、担任になったこともなく、クラブの顧問でもありませんでした。
表向きは、芦名先生は司馬さんにとって、国漢を二年間教えてくれたというだけの淡い関係の先生でしかありませんでした。