はじめに

「啐啄」という漢語は「そったく」と読みます。啐の意味は鳥の雛が卵の中から殻を破って出てこようとして鳴く声であり、啄は母鳥が外から卵の殻をつつき割る音のことをいいます。また禅家には、啐啄同時という言葉があります。師と弟子の呼吸がぴたりと合うことをいい、師弟の理想と考えます。

日常ではあまり使わない言葉ですが、司馬遼太郎、いや福田定一という一人の生徒と芦名信行という先生との出会いを知れば知るほど、私はこの啐啄という禅語を思い浮かべてしまいます。

司馬さんのこの啐啄の体験は司馬さんの小説家への道を開いただけでなく、その後の司馬さんの多くの作品の中心的な課題となり、背骨ともなりました。

司馬さんの作家人生を作ったのは啐啄でしたが、裏側でこれを支えたのは、司馬さんのやさしさと美意識でした。司馬さんは恩師から受け継いだやさしさと自分の美意識にこだわった作品を書き続けた結果、国民から愛され、読者から高い評価を受けるようになったのです。

しかしその反面、自分の首に重い軛(くびき)をかけることにもなりました。みどり夫人はその軛のことを「氷のような孤独」と表現しています。

文藝春秋の司馬番(編集者)を長らく務めた和田宏さんは、司馬さんが自分の美意識を守るために自分に強いた過酷な訓練のことを数多く記録しています。これらはすべて司馬さんが自らに課した軛でした。

司馬さんはみどり夫人にもこの自分を苛む軛のことを、多くは話さなかったと思われます。司馬さんにとって、自身の苦悩について話すということ自体が美意識に反することだからです。