ですから、司馬さんが中学時代や大学時代について話したり、書いたりしたことも、司馬さんの美意識のフィルターを通過したモノだけが印刷されていることが多いのです。それらは決して嘘でもなく、間違いでもないのですが、真実の一部分であって全部ではないということです。美意識のフィルターを通過した事実の一つのかけらでしかありません。
そのため、司馬さんの中学時代のあることについて調べようとすると、それに関するかけらをできるだけ集めて、それらを床に広げて、それを二階から俯瞰する必要があります。バラバラになったかけらを上から俯瞰することで、同じ色、同じ模様のかけらを探し、それらを復元するのです。
ですから、司馬さんが書いたものや証言などは取捨選択する必要があるのですが、かえってそれが、資料を自分に都合よく切り貼りしただけのように読者に解釈されてしまう可能性もあります。
そんな私に勇気を与えてくれたのが、塩野七生さんでした。塩野さんは『ローマ人の物語』で司馬遼太郎賞を受賞した方ですが、第三回菜の花忌の講演会でマキアヴェッリの「真実であってもおかしくない嘘」の話をされました。歴史を書く時に大事なことは「史実というもののあやふやさを常に頭に置きながら、史実を書き残した人間までもふくめた人間全体に対して、書き手がどう考えるかをぶつけるのが、歴史の叙述でもあるのです」と話されています。
私は塩野さんのこの言葉に何度も勇気をもらいながら、前進することができましたが、この未熟な作品が「真実であってもおかしくない嘘」になれるかどうかはいまだわかりません。ただ、そうなれるように頑張りたいと思っているだけです。
令和五年は司馬遼太郎生誕百年にあたりました。
司馬さんをよく知る人たちの多くもすでに亡くなりました。貴重な証言を多く引用させてもらった和田宏さんや半藤一利さんもすでに鬼籍に入られました。加えて、司馬さんはその美意識から個人的なことを書くのを嫌ったために、矛盾する証言が多くあり、このままでは司馬さんの作家としての本当のすごさや志や覚悟、そして苦悩など、誰も気づかないまま永遠に消えてしまう可能性があります。
そのため本書は、司馬さんが他人に踏み込まれることを嫌った個人的なことにも、申し訳ないことと思いつつ、踏み込まざるを得ませんでした。