【前回の記事を読む】「凡夫とはわれわれのことやな」司馬遼太郎が心に残した芦名先生の教えとは? たった二編の随筆に残されたある教師の姿

第一章 司馬遼太郎の育った庭

一  上宮中学校

芦名先生の悲劇

司馬さんが上宮中学校に入学した前後の芦名先生のことを知る格好の記録があります。前章に書いた「先生自宅訪問記」です。

普通、八十年以上も前に市井に生きた一人の僧侶兼教師の人生の詳細がわかることは滅多にないと思いますが、芦名先生の場合は、この「先生自宅訪問記」によって先生が遭遇した数々の悲劇やそれを乗り越えた努力までが詳しくわかるのです。

この見事な記事を書いてくれた、名前もわからない文芸部の記者君に感謝するばかりです。この自宅訪問記の記事をもとに、芦名先生が司馬さんと出会うまでの人生をたどってみたいと思います。

芦名先生は上宮中学校に国漢科の教師として再就職された前後に結婚され、幸せなご家庭を築いていましたが、突然、奥様と三番目のお子さんを出産時の事故で亡くすという悲劇が襲います。

この後、先生のご家族は立て続けに不幸に見舞われることになります。奥様と三女を出産時の事故で同時に亡くされたあと、しばらくして、芦名先生はお母さんが病気で亡くなり、その数か月後には住職だった父親が急死します。

そのため、芦名先生は急遽、お寺の住職を継ぐことになり、なれない住職の仕事と教師を兼務することになりました。

そして、芦名先生はこの訪問記が書かれた年の初めの頃に最愛の娘さんを亡くしていたのです。父親として最悪、最凶というべき悲劇でした。