司馬さんはそんな先生のことを随筆に二編も書いているのです。それも同じ授業と思われる内容の話です。

前述のように、二編の随筆のどこを読んでも、司馬さんは教室の中の一人の生徒でしかなく、二人に特別なことがあったようには書かれていません。

ただ芦名先生の授業がいかに素晴らしかったか、讃嘆するような筆致で書かれているだけです。

『芦名先生』で司馬さんは、「このかたのわずかなお言葉まで、いまもありありとおぼえているし、そのおことばの声調子やちょっと頬にさしのぼった微笑までふしぎなほどはっきりと覚えている。

子供心にもよほど魅力のある方だったのであろう」と書いています。

 

授業に関しても「他のこどももそうであったろうが、私にはこのときの光景が、色彩と音響を帯びて生涯わすれられぬものになっている。

このとき、浄土教とは何者であり、浄土教における人間とは何者であるかが、おぼろげながらもわかった気がしており、もし私の過去にこのときの情景がなかったならば、私の思想はもっと違ったものになっていたかもしれないほどに、私にとっては重要なものになってしまっている。

―『凡夫とはわれわれのことやな』という一語は、念仏行者である芦名先生のお口から出たればこそ、子供の心さえ打ったああいう不可思議さがおこなわれたのであろう」とも書いています。