【前回の記事を読む】私は2階で酒を吞んで熟睡。妻は1階和室で寝たのだと思う。妻に異常はまったくなかった。なのに深夜、「お父さん、お父さん」と…
2015年
9月16日(水)
この10日間
雨が降り続いていた。
母親を東邦大学病院へ送ってから、あい子は会社へ来た。
様子を聞くと、特に変わったところはないという。
定刻に帰宅すると良子は魚を買って帰っており、(東邦最寄りの蒲田駅には良い魚屋がある)今日は「手巻き」で食べよう、ということで、良子も一緒に食べたのである。
治療の様子を聞くと、何もしなかった、という。検査が必要な場合にのみ東邦のような病院へ来れば良いので、普段はご近所のお医者さんがいいですよ、と言われたという。要は東邦病院へ来るほどのことではないということだった、というので、それならばそれで目出度いことだと、私もあい子も、よろこんだのである。この時点で完全に安心した。
私は仕事の関係で毎週水曜日は栃木県A市へ行く。
翌日9日もA市へ行った。
雨がしつこく降り続いていた。
A市からの帰りは、16時7分石橋駅発(湘南新宿ライン)である。
強い雨であった。帰路、ずっと降り続いていた。
古河─栗橋間、鉄橋下の利根川は、河川敷がまったく見えず、水面が巨大に広がり、その不気味さに驚いた。
しかしそのすぐあと、久喜を過ぎたところで(16時50分頃)右側前方が晴れ、陽光が車中に差し込んできた。
車内アナウンスが、
「左側をご覧下さい。きれいな虹が出ています」
と、そんなイキな案内をした。実際、実にきれいな虹が、左側上空に描かれていた。
ようやく雨は上がったと思った。
ところが赤羽を過ぎ池袋に着いた頃から、再び猛烈に降ってきた。
雨は更にずっと降り続いた。
翌日は大阪への日帰り出張が決まっていた。
鬼怒川の決壊は大阪で知った。
この日は良子の希望で、“551”の「豚饅」を買って帰ることになっていた。
551は京阪神、奈良、和歌山にしか出店していない。特に東京は、オーナーの意志として出店しないのだそうである。私がたまに買って帰ると良子は喜んだが、考えてみると、自分から望んだことはなかったと思う。いずれにせよ食欲のあることを私は喜んだ。
そしてこの夜、良子は、豚饅1個を食べたのである。
12日の土曜日夕刻、宇都宮で結婚式があった。私は主賓としての挨拶も求められていた。良子に対して何の不安も持たず、宇都宮へ向かった。
そして、帰りの新幹線の中で、あい子からのメールを受け取った。