第1章 2011年

10月29日(土)

私はあと数カ月で70を迎える。

最近身近な者が続いて倒れ、私も「死に方」を考えるようになった。だがこれは難しい。こっちの都合が加味できないからである。特に体の自由が利かぬ形での死は、私にとって恐怖である。このメモの最大のテーマはそのことになると思う。

結局、私はむしろ「がん」を望むのである。

痛みは徹底的な鎮痛剤の使用で逃げられる。意識のないベッド暮らしは何としても避けたい。

ところが私の家系は、徹底して非「がん」なのである。父方母方を問わず、イトコ以上で、がんで死んだ者を知らない。

死の原因は大別して、「消化器系」「循環器系」「呼吸器系」になると思うが、我が一族は徹底して「循環器系」である。肺病というのも一人もいない。

話は飛ぶが、年金問題というのがある。要は、給付に足る資金が確保できない問題だ。解決は給付に足る資金を段取りするか、給付する額を削るかである。今、政府・役人は、この両方をやろうとしている訳である。

若夫婦が子供を産む意欲は、いよいよ減衰していくであろう。何しろ、少子化が年金危機の原因のようにいうから、年金解決のために子供を産むのかということになる。

だから給付額を削ろうとするし、支給開始年齢をどんどん後ろへ持っていこうとする。68歳が話題になっているが、これはいずれそうなるであろうし、70歳にもなるだろう。

まあ、こんな話はきりがない。私がここで言いたいのは、老人医療の「充実」、なかんずく「延命治療」は、年金支給額の削減と完全に相反しているということである。ほとんど意識のない寝たきり老人が、おそるべき多額の医療費を使い、年金を受け取る。

速やかに世を辞して頂いて、そこで費消している医療費を年金に回せば、年金問題は相当の部分で解決する、と考える。お釣りがくるかもしれない。

こんなことをここに書くのは、私は妻子に、くどいほどそれを命じているからである。余分な治療は一切するな。それは私を苦しめることである、そう告げており、その私の意志が法的にどう担保できるのか、それを研究するのが、このメモの目的である。余分なことも書くだろうが。

生命は大雑把に、「呼吸器系」「消化器系」「循環器系」で維持されているように思う。これは、どの系統が支障を来しても、生命は維持できない。

だから本来、どれか一系統がダメになったら、そこで死んでいくのが素直な人生だろうと思う。

ところが今の医療はどれか一系統が生きていれば、二系統は人工的・機械的に代替して生存させる。下手すると三系統全部を機械化する。

自分がそうされることを考えると、恐ろしく、おぞましい。

私は口から食べられなくなったら、そこで終わりにしてくれ、と厳命してある。

点滴栄養補給や、まして「胃ろう」など、もっての外だ。

「がん」ならば、私の意志は通しやすいと思う。しかし我が家系に圧倒的な、循環器(脳)がいかれた場合、どうすればいいのか。どういう文書を残しておけば良いのか。

幸い、我が親戚に「ボケ」は聞いたことがない。確率だけのことであるが、これは気持ちを明るくする。

10月31日(月)
真夏の病棟にて

(私の今日)
血圧 122―78
脈拍 75
身長 173cm(10年前は174.5cmであった。1mm減である)
体重 73kg

この夏、ある方を見舞った。見舞ったといっても、本人はほとんど眠り続けており、私を認識することも、まして話すこともできなかった。数日前に某大病院を追い出されて移ったのだった。本人は自力咀嚼できない状況になっていた。その病院は強く「胃ろう」処置に誘導したが、妻子はそれを拒否したのだった。

「胃ろう」をしない条件で患者を引き受けてくれる病院探しに、その家族は苦労した。そしてようやく、この病院へ移ったのである。本人は点滴で栄養補給していた。「胃ろう」を断ったことを、「当然のこと」とここの院長は語ったそうである。しかし「点滴」はしなければならない。

真夏の、暑い日だった。

病室は4階にあった。広くはないがすべて個室で、窓は開けられ、通路側のドアも半開、中の様子が窺えた。20室ほどあっただろうか。全部を覗いた訳でないが、見たすべてのベッドで、老人が横たわっていた。誰一人、目を開けている人はいなかった。昏々と眠っていた。再び立ち上がる人がいるようには見えなかった。

これが「高度老人医療」の現場である。

私は自分がこのような場所に置かれることを、何としても回避しなければならない。