【前回の記事を読む】口から食べられなくなったら、そこで終わりにしてくれ。「胃ろう」など、もっての外だ。余分な治療は一切するな。
第二章 2012年~2014年
2012年2月1日(水)
死ぬのは「がん」に限る
新聞で、“死ぬのは「がん」に限る。但し、治療はせずに。”という書物の広告を見た。
著者は中村仁一というお医者さんで、書名は、『大往生したけりゃ医療とかかわるな』というものである。
このメモを書き始めた冒頭で、私は、死に方を選べるならがんを望むと書いた。
広告文は次のように書かれている。
『がんは治療をしなければ痛まないのに医者に治療を勧められ、拷問のような苦しみを味わった挙げ句、やっと息を引き取る人が大半だ。
現役医師である著者の持論は「死ぬのはがんに限る」。
実際に最後まで点滴注射も酸素吸入も一切しない数百例の「自然死」を見届けてきた。
なぜ「がん」死がお勧めなのか。自分の死に時を自分で決めることを提案した、画期的な書。』
早速この本を注文した。読後にまた感想を述べることにする。
私は色々と考えて、選ぶことができるなら、「がん」がいいとの結論に至った。
意識なく呼吸を続ける、それ以上の恐怖はない。
しかし日本の医療は、それを強要しかねない。
最近ようやく、『終末期胃ろう「差し控えも」 患者の尊厳考慮 老年医学会が見解』(読売新聞2012年1月29日)という報道があった。
私自身は明確に「胃ろう拒否」を家族に伝えてある。それがその通り実行される法的担保を、今研究しているのである。
昨年私に近い者が、語りかけにも反応なく、自分で食事はできず、点滴での栄養補給しか生命維持ができなくなった。入っていたのが公立の病院だったので入院の期限があり、転院しなければならなかった。
「胃ろう処置しなければ、受け入れるところは少ないだろう」と、暗に胃ろうを求められた。家族はそれを拒否した。そして実際、受け入れ病院を探すのに苦労した。
ようやく有力者の紹介を得て探し当てた病院で家族が院長に、「胃ろう、延命治療はイヤだ」と話したところ、「当然のことです」だったそうである。
その人はそれでも夏を越し、ほぼ3カ月後の秋口、穏やかに亡くなった。
これも最近、私の仲間の母親が亡くなった。ご高齢で、十分な人生であったと思う。意識のない状態で病院に入り、割と短い日数で担当医は、「ドライにした」そうである。
この言葉の意味も、これから勉強しなければならない。お母様はきわめて安らかな終わりを迎えられたとのことである。
ざっとインターネットで検索してみると、
[最期は体をドライにするのが一番楽]
というページがあった。
仲間の語る「ドライにした」意味がこのウェブ情報に同じなのか、確認してみる。
いずれにせよ私も「ドライにされる」ことを望むが、家族並びに担当医に、どのような「法的根拠と要求」を与えられるか、勉強課題である。