12月8日(木)
談志が死んだ

立川談志を、私は知らない。

それは、街ですれ違っても声を聞いても、それが談志だとは分かるだろう。しかし私は彼の高座を知らない。だから知らないのである。

[毎日新聞](2011年11月24日)

23日夜会見した立川談志さんの長男、松岡慎太郎さん(45)と長女、弓子さん(48)によると、談志さんは昨年11月にがんが再発。主治医から、「一刻も早く声帯を取る手術を」と言われたが、本人は「声を失うことはプライドが許さない」と拒絶し……。

私は、もう30年近く前、40歳頃に、強烈な〝通風〟を経験した。骨と骨が軋む、五寸釘を打ち込まれるような鋭い痛さだった。

10年後、また、痛みはやってきた。足の、骨が哭(な)いた。

医者は、

「酒を控えなさい」

と言う。

私は、「控えません」と答えた。

「酒を控えるより痛みを選びます」

医者は、「それは人生観ですから」と答えた。

それから20年、私に“痛風”は来ない。今夜、来るかもしれない。尿酸値は常に上限をオーバーしている。

声帯を取り呼吸を続けたら、談志にとってそれは「生」なのか。

そうして呼吸を続けることが“寿命”なのか。

吉村昭が生命維持装置のチューブを自ら引き抜く姿を、夫人の津村節子は、悲しみと、しかし愛と、おそらくは誇りを持って、描いている。

酒について思い起こせば、赤塚不二夫は切り裂かれた腹を露わに焼酎を呑んでいた。

美空ひばり、石原裕次郎

どうすればもっと長く“息”を続けられるか、知っていただろう。

酒を控えなさい。しかし“酒を控えたら”、彼らにとってそれは「生」でなかったのだろう。「寿命」のうちに、入らなかったのだろうと思う。

私にとっても、それは「生」ではない。

12月20日(火)
金正日が死んだ

金正日が死んだ。

ヤツがどのような死に方をするのか、強い興味を持っていた。

私にとってもっともつまらない形で死んだ(真相は分からないが)。

おそらく“非業の死”は、息子の正恩が担当するのだろう。

金正日は昭和17(1942)年生で、私と同年、午年である。

日本では小泉純一郎、小沢一郎、 

中国の胡錦濤、温家宝が同い年のはずだ。

その意味では段々近づくのを感じる。

極悪人にしては金正日の死に方が、詰まらん、ということのみを記しておく。

 

次回更新は3月23日(日)、20時の予定です。

 

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