お嬢様の崩壊
しずかは、自分がお嬢様だと思ったことはなかった。でも、最近になってやっぱり自分は周りと少し違うのかもしれないと感じていた。
子どものころ住んでいた都内の家には部屋が十四ぐらいあったし、門から玄関までのスロープには車が三台くらい停まっていて、玄関ホールには大きな銅像が立っていた。
習っていたピアノは日比谷でクリニックを開業している祖父の書斎に置いてあり、そこには仏像が立っていて、ピアノの練習をするときその仏像に見られているようで怖かった。
家には常にお手伝いさんが何人かいたし、お庭には木登りができるような大きな木や竹林もあったが、しずかは一人でお人形遊びをすることが多かった。頭の中でいろいろ想像して夢見る女の子だった。
国立の小学校に通っていたので制服に黒いランドセルだったのが恥ずかしく、近所に友達はいなかった。学校でも声が小さくて目立たない子だったので、教室でも発言することはほとんどなかった。
***
二〇〇八年七月。
しずかは、新宿駅の地下道を歩いていた。昨日の熱帯夜の空気がそのまま残っていてむっとしている。人にぶつかりそうになりながらも器用にかわして歩けるのは、根っからの都会育ちだからである。
足早に歩いているとショッピングセンターの入り口にみすぼらしい身なりで悪臭を放つ老婆が座り込んでいた。ぶつぶつ何かつぶやいているその女の傍を通り過ぎながら、ふと、(この人だってもしかしたら元はよい暮らしをしていた人だったのかもしれない)と思った。そして自分もいつかこんなふうになってしまうかもしれないと考えた。
思わず傍に寄り、「あのう……」と声をかけると、いきなり「うるせぇ!」とその女が叫んだ。しずかはびっくりして跳びのくと、自分は何をしているのだろうと思い直して職場に向かった。
しずかが派遣社員として勤務している旅行代理店は新宿駅から徒歩七分ほどのところにある。しずかは電話でお客様からの問い合わせを受け、予約を取る仕事をしていた。