【前回の記事を読む】妻は美人でない。しかし、きれいな女だ。年を経るにつれ、この女への愛おしさが深まる。この女に先立たれたら、私は、どうしよう。

第二章 2012年~2014年

7月24日(火)
債務者(その2)

娘が強烈に印象に残っているという私の二つの姿、

その一つは平成12(2000)年頃と思う。

私は創業メンバーの一人として平成元年(1989年)にある会社を設立した。

私は創立時に社長に就任し、その後22年間その席にあったのだが、出資者ではなく、二つの親会社が50%ずつを持つ折半出資の合弁企業だった。私の在任中に地底から天上までを味わった。最終的には「超」のつく優良状態でバトンタッチしたが、設立から20年余、十分すぎるほどいろんな状況があった。

企業分類とか企業区分と言われるものがある。下から言えば、

1.破綻先
2.実質破綻先
3.破綻懸念先
4.要注意先
5.正常先

その会社は、1.を除く、すべての段階を味わった。

1996年頃は銀行から見て、2.実質破綻先、の状態であった。

債務超過ははるか昔で、当時累積損失は資本金の8倍に達していた。

それでも銀行が融資を続けてくれたのは親会社の債務保証があったからである。銀行が本気で貸し渋り、引き剥がしを始めるのは、もう少しあとのことで、幸いにもその時期には我々は急角度で上昇に入っており、累損は残るものの新たな借り入れの必要はなく、借入残はどんどん減っていた。

その「実質破綻先」カテゴリーの時期、行名は変わったがそのときも今もメガバンクと呼ばれる銀行に、その日弁済期日の1億円があった。その金は同日同行から“つなぎ”融資を受け、つまり“ジャンプ”することになっていた。親会社の取締役会が承認した債務保証も付けていた。すべて手続きは終えていた。

ところが当日朝になって、担当者から電話が入り、「本部の決裁が得られなかった、融資は実行されません」と言う。

「うちを潰す気か」と私は怒鳴った。「いいよ。しかしその金が出なければ、今日決済のお宅への1億円は払えないよ。金はないよ。金がないことはよく分かっているだろう。困るのはそっちだろう」

すると間もなく支店長が飛んで来た。格式の高い支店で、支店長は「取締役」であった。

取締役支店長がわざわざ来たのに驚いたが、何と菓子折りを下げていて、「ご心配掛けまして。私の権限で即刻1億円の融資をします」と頭を下げる。あとでそれとなく他から聞いたことで真贋は分からないが、当時そこの支店・支店長は、3億円までは本部決裁なく融資を実行できたらしい。

金は借りた方が強いとは聞いていたが、現実に体験してびっくりした。

天下の大銀行取締役支店長に、借金した方が頭を下げられるとは、思っても見なかった。

私の企業人としてのただ1度の経験である。

しようとしてできるものではなく、2度としたいとも思わないが、思い出深い出来事である。

娘はそれをすぐ横で見ていた訳である。

昨今のユーロ不安、ギリシアが話題に出るたび、あのときのお父さんを思い出すという。

ギリシアはお父さんみたいなもんだな、という。

日本でも多くの巨額債務・踏み倒しが発生し、これからも発生するだろうが、基本形は同じと思う。

借りた方の開き直りと、貸した方の「先送り」である。

そして先になるほど借金は増え、借金額に逆比例で借りた方が強くなる。

立場は常に、失うものの多い方が弱いのである。

まあ、私はヤクザではなく必死故に出た言葉だったが、相手の痛神経の芯を叩いた訳である。

幸い当方は極めて真面目な会社であり、世に必要な業務であったので、うまくギアが入ると業績は急激に好転した。

今も優良企業であり続けている。