第一部 トム・リプリー論

1 『太陽がいっぱい』―詐欺師の「才能」

詐欺師リプリー

ここでリプリーがニューヨークを脱出し、イタリアへと向かった経緯を説明しておこう。リプリーが読者の前に現れたとき、彼はすでに詐欺師で悪党だった。

俳優になる夢をあきらめたリプリーはどうやって生計を立てていたのか。所得税詐欺によってである。米国国税庁職員に成りすまし、税金をきちんと納めていない(とリプリーがあたりをつけた)人々へ督促し、偽の私書箱へ送られてきた不足分の小切手をまんまとせしめていたのだ。『太陽がいっぱい』の冒頭、ニューヨークの街中で、彼は警察に追われる身として登場する。

そんなリプリーに願ってもない話が舞い込んだ。ディッキー・グリーンリーフの父親ハーバートが、イタリアにいる息子を連れて帰ってきてほしいとリプリーに依頼する。彼はリプリーを息子の友人と勘違いしていた。まさしく、詐欺師のもとにカモが現れたのだ。

リプリーはディッキーの友人に成りすまし、ハーバートから出身大学を聞かれると名門プリンストン大学出身だと学歴を詐称し、現在の勤め先を聞かれると広告代理店勤務だと偽り、信頼させておいてハーバートの依頼を承諾した。

リプリーとディッキーは同い年だ。ハーバートから息子の近況を聞きながらリプリーはこうつぶやく。

『ディッキーはたぶん、向こうでおおいに楽しんでいるのだろう。収入も、家も、ヨットもあるのだ。帰る気が起こるわけがなかった。(中略)ディッキーはめぐまれた男だ。だが自分は二十五歳にもなって、いったい何をしているのか? その日その日をどうにか暮らしていた。貯金もない。いまは生まれてはじめて警察の目を気にして生きている』(本書一四頁)

どうやらリプリーは、ディッキーを連れて帰るというミッションに本気で取り組むつもりなどない。ハーバートの依頼は、ニューヨークでくすぶっていた彼には、罪から逃れ、立身出世を目指す一石二鳥の提案だった。