【前回の記事を読む】いったんほころびを見せた紳士同盟はもとに戻ることはなく、バーナードはリプリー宅から姿をくらました。そして数日後…

第一部 トム・リプリー論

第1章 コンマン&ジェントルマン
―アメリカン・デモクラシーに背を向けた男トム・リプリー

2 『贋作』―紳士同盟のゆくえ

二人だけの紳士同盟 その結末

人形を自分の身代わりに殺害し、贋作を行ってきた過去の自分を消す、と。この場面で筆者は、ディッキーを殺害し、彼に成りすまして過去の自分を消した『太陽がいっぱい』でのリプリーを思い出す。二人の違いは、リプリーが過去を消して新しい自分に生まれ変わったのに対し、バーナードはただ途方にくれていたことだ。

バーナードの狂気はエスカレートしていった。リプリー宅に舞い戻った彼は、すべてはリプリーのせいだと二度にわたり彼を殺そうとした。なぜかリプリーはされるがままにしていた。

この二人の危険な関係は、発狂したゴッホが、二度にわたり友人ゴーギャンを殺(あや)めようとし、その直後に自身の耳をそぎ落とした事件(註1)を彷彿とさせる。

リプリーは助かるのだが、自分は死んだことにしておいてバーナードのゆくえを追った。そして、ついにザルツブルグでバーナードを発見した。モーツァルト博物館でバーナードがリプリーに気づいてぎょっとし、逃げ出した。バーナードは自分が殺した男の幽霊を見たのだろう、とリプリーは考えた。

かつてリプリーは、自分が殺したディッキーの幽霊を見たことがあった。人を殺した者の精神状態は理解できるのだ。自分を幽霊と思わせながら、リプリーにはバーナードこそが幽霊のように見えていた、と筆者は推測する。

首吊り人形を身代わりに過去の自分を消去したにもかかわらず、まだ現世に未練を残す幽霊のように。バーナードはその後、夢遊病者のように、幽霊のように歩き続けた(幽霊に足はないが)。