【前回の記事を読む】【『太陽がいっぱい』を読み解く】「ジェントルマン」ではなく「カントリー・ジェントルマン」。両者の決定的な違いは?

第一部 トム・リプリー論

第1章 コンマン&ジェントルマン
―アメリカン・デモクラシーに背を向けた男トム・リプリー

1 『太陽がいっぱい』―詐欺師の「才能」

ディッキーに成りすます

『自分がディッキー・グリーンリーフになればいい。ディッキーのやっていたことがすべてできるわけだ。(中略)ローマかパリのアパルトマンに住み、月々の送金小切手を受けとって、ディッキーのサインをそっくりまねるのだ。彼の靴はぴったりだった。父親のほうのミスター・グリーンリーフも言いなりにさせることができるだろう』(本書一三九頁)

窮地に立たされ詐欺師の本性をさらけ出したリプリーだった。このまますごすごとアメリカに帰国するなりヨーロッパを放浪するのではなく、自分の「タレント」を活かして夢をかなえようとした。夢をかなえるためなら、犯罪歴に殺人を加えることを躊躇しないリプリーだった。

リプリーはディッキーをボート乗りに誘い、彼を殺害した。ディッキーには海がふさわしいのだとリプリーは考えた。なぜならディッキーは造船会社社長の息子であり、モンジベロでは自分のボートを所有し乗り回していたのだから。

また、死体隠しを完璧に行うためにもモーターボートに乗るのがうってつけだった。モーターボートに備えつけてあるロープで彼を縛りつけ、コンクリートの錘(おもり)を重しにして死体を沈めた。

初めての殺人をリプリーはなぜここまで冷静に計算し、実行できたのか。彼がすでにディッキーに成りきっていたからだと筆者は考える。

幼少のころ、両親がボストン港で溺死したためリプリーは水嫌いになっていたが、ディッキーに成りすますという役づくりに没頭するうち、彼は水嫌いをいつのまにか克服していたのだろう。リプリーは船上でディッキーに乗り移り、水嫌いだった自分を完璧に消去したのだ。