紳士たちの指輪Ⅰ
『太陽がいっぱい』、『贋作』、『死者と踊るリプリー』を三部作として読み進むうち、筆者は、登場人物たちの指輪をめぐる物語も三部作構成であることに気づいた。実際、三部作のラストを飾る『死者と踊るリプリー』は、リプリーが指輪をフランス・ロワン川へ投げ捨てる場面で一件落着となる。
登場人物たちの指輪に関する描写は、三作それぞれの物語の進行と結びつき、三作間を結びつける重要な要因としても機能している、と筆者は読み解いた。以下、紳士たちの指輪を、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの三部構成で考察していく。
リプリーが正統派紳士を目指すきっかけとなったのは、ディッキーをイタリアから連れて帰ってくるミッションの打ち合わせのため、彼がグリーンリーフ家を訪問したときだったと筆者は推測する。彼はハーバート・グリーンリーフがはめていた指輪に目を留めた。
『ミスター・グリーンリーフが小指にしているほとんど磨(す)り減った認印つき金の指輪に、トムはじっと視線をそそいだ』(本書一七頁)
ここで筆者は想像をたくましくしたくなる。指輪は昔から、装飾や結婚のしるしとしてだけでなく、王や貴族など高貴な身分の象徴としても機能してきた。はたしてハーバート・グリーンリーフは由緒ある家系の出身なのだろうか。彼がはめている指輪は「認印(原文Signet― 引用者註)つき」だ。
ヨーロッパの歴史では、貴族が認印つきの指輪をはめ、記録文書や手紙などの認印にそれを用いたという。「磨(す)り減った」とあるので、代々にわたり受け継がれてきたものではないか。リプリーはそのことを見てとり、羨望の眼差しをそそいだのだろうか。
リプリーは、ディッキーのモンジベロの自宅を初めて訪問したとき、彼も父親同様に認印つきの指輪をはめていることに気づいた。
『彼はひまつぶしに、ディッキーの指輪の品定めをした。どちらもいい指輪だ。右手の薬指には大きな長方形の緑色の石がはめこまれた金の指輪、左手の小指には認印つき指輪で、これはミスター・グリーンリーフがしていたものより大きくて派手だった』(本書六九頁)
ボートのオールでディッキーを殺害した後、リプリーは真っ先にディッキーの緑の指輪を引き抜いてポケットにしまい込んだ。続いて認印つきの指輪も抜き取った。なぜまず指輪なのか? 指輪を自分のものにすることが、ディッキーに成りきるための証であり、紳士に成りあがった証でもあったから、きっとそうしたのだ、と筆者は考える。
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