【前回の記事を読む】【トム・リプリー論】『太陽がいっぱい』『贋作』『死者と踊るリプリー』の三部作を結び付けるのは指輪。リプリーにとって指輪とは…
第一部 トム・リプリー論
第1章 コンマン&ジェントルマン
―アメリカン・デモクラシーに背を向けた男トム・リプリー
1 『太陽がいっぱい』―詐欺師の「才能」
紳士たちの指輪Ⅰ
その後、ボートから落ちて自分も瀕死の経験をした。助かってすぐポケットの指輪を手探りした。
『ディッキーの指輪が気がかりで、ポケットのなかを探った。指輪はまだそこにあった。なくなっていてもおかしくなかったのだ』(本書一四九頁)
自身の死の瀬戸際でもディッキーの指輪に執着するリプリー。ディッキーに成りすまし、紳士に成りあがるという彼の決意は固かった。
これ以降リプリーは、犯行発覚の手がかりになると承知の上で、小物入れの箱にディッキーの二つの指輪をしまっておいた。後にこれがあだになった。
ヴェネツィアのリプリーの家をマージが訪問し、ディッキーの指輪を発見した。リプリーはディッキー殺害をマージに気づかれたと覚悟した。ところがマージは、大切にしていた指輪をリプリーにあげるくらいだから、ディッキーは自殺したかあるいは別人に成りすまし失踪したのだと納得した。
自分の指輪を他人にあげるディッキーなど考えられない、彼は自身のアイデンティティーを放棄したのだ、とマージは言った。ディッキーの父親ハーバートも同意見だった。サンレモで、ボートから荒波に放り出されてもリプリーの体を離れなかったディッキーの指輪が、彼の窮地を救った。