ところで、トム・リプリーシリーズを読み進むと明らかになっていくのだが、リプリーの才能の中で特にすぐれているのは、他人に成りすますこと=ものまねだ。ということは、彼には役者の才能があったということだ。
ディッキーと自分を見事に演じ分け、一人二役でディッキーの両親とマージを騙し、警察を騙した。ディッキー殺害の後、彼に成りすまして逃避行を続けながら、彼はこんなことを考えていた。
『変装で肝心なのは、なりすましている人物の雰囲気と性格をうけつぐことであり、その雰囲気と性格に合った表情を身につけることだ(中略)あとは、なんとか様になるものだ』(本書一八一︲一八二頁)
これは詐欺師の変装術というよりも役者の演技論だ。ニューヨークで役者になる夢をあきらめたリプリーだったが、ディッキーに成りすますというアイデアを思いつき、いったんあきらめた役者になる夢を歪んだかたちで実現させた。
そして、ディッキーの遺言書を偽造し、彼の財産を譲り受けることに成功した。働かずに生計を得る紳士への道が約束された。ただし他人の財産の相続による立身出世は、アメリカの価値観―他人をあてにせず、自らの力で、勤労の精神で、財を築く―に背くものだった。
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