【前回の記事を読む】『太陽がいっぱい』の詐欺師トム・リプリーは、他人に成りすますことで、いったん諦めた役者になる夢を歪んだかたちで実現させ…

第一部 トム・リプリー論

第1章 コンマン&ジェントルマン
―アメリカン・デモクラシーに背を向けた男トム・リプリー

1 『太陽がいっぱい』―詐欺師の「才能」

なぜヨーロッパへ向かったのか

『太陽がいっぱい』の執筆中に、作者ハイスミスはトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』を読んでいた。(註1)この事実は、本稿の論述に重要な意味を帯びてくる。どういうことか説明しよう。

周知の通り『アメリカのデモクラシー』でトクヴィルは、多数者の圧政という民主主義の矛盾に直面しつつも、アメリカのデモクラシーの発展に、自身の母国フランスのみならず、人類の進むべき未来を見出そうとしていた。

ところが作者ハイスミスはリプリーに、自由と平等の国アメリカに見切りをつけさせ、ヨーロッパへと向かわせた。リプリーが実際に向かったのはイタリアだが、彼の頭の中では行先はヨーロッパだ。なぜヨーロッパがいいのか。そこがかつては身分制社会であり、いまもまだ階級社会だからだ、と筆者は読み解く。

先述の通り、リプリーはヨーロッパで正統派紳士=カントリー・ジェントルマンになることを目指した。アメリカにとどまれば、建前としてみな平等にジェントルマンになれたろう。

だがそれは、ディッキーの境遇との不平等に悩む彼がなりたいものではなかった。リプリーにとってアメリカ社会は、機会は平等に開かれていても、結果的に不平等な世の中だったろう。トクヴィルは『アメリカのデモクラシー』でこう述べた。

『アメリカのほとんどすべての植民地は互いに平等な人々によって、またはこれらの植民地に住んでいる間に平等になった人々によって創設され、維持されている。新世界にはヨーロッパ人が貴族階級をつくることができるような地域は一つもない』(『アメリカの民主政治』講談社学術文庫(中)二八二頁)

だから地位と名誉がほしいリプリーは、アメリカに背を向けヨーロッパへと向かったのだ。