二十年前の若き平八郎は、配下である同心たちを従えて弓削の屋敷に乗り込んだ。同心たちのさらなる配下の岡っ引きたちが弓削を連行する。そのとき平八郎は、召し取られた弓削の十手を取り上げて言った。

「義を守る立場の者が、何ちゅう様や!」

「大塩よ。拙者を捕らえれば、お主の上司も泥をかぶることになるのだぞ。今から覚悟をしておくことだな」

弓削は悪びれず平八郎の足元に唾を吐きかけたものだ。この西町奉行与力には詰め腹を切らせたものの、平八郎には疑念がくすぶった。弓削が虚勢を張ったのでなければ、この腐敗は大坂町奉行に留まらず、江戸の幕閣にも浸透しているのでは、と。

さらに平八郎にはこんな経歴もある。天保四年(1833年)、天保の飢饉の初年から翌年にかけて、飢饉対策にあたった。特設された東町奉行の詰め所で、平八郎は図面を広げて飢饉の影響が深刻な地域を分析し、然るべき具体的で緻密な対策を講じた。五年続いた天保の飢饉も、当初の二年余りは大塩が対策本部の顧問になったおかげで、無事切り抜けたのである。

そのときの経験を元に東町奉行にアドバイスしたのだが、跡部は聞く耳を持たなかった。やはり、中央も腐っておる。平八郎はそう確信した。

さて、料亭に戻る。善右衛門から平八郎の英雄譚を聞き、跡部は侮れないと感じていた。

「よし。厄介になる前に、奴の埃を手下どもに探らせよう」

与力・同心・町方それに市井の目明しなども含めれば、俺には数百人からの手下がいる。跡部は新たに手にした自分の権力を使ってみたかったのだ。善右衛門の方は結論は出たので、一旦杯を置く。

「話は変わりますけど、江戸では家斉公が引退なされ、家慶様が跡を継がれるとか」

「うむ、兄から聞いておる。兄は家慶派だから、いよいよわれら兄弟の天下よ」

やはり当面はこの男に賭けてみよう、と政商は決断した。善右衛門がポンと手を叩くと、使いの者が襖が開ける。廊下に酒樽が鎮座している。